血縁淘汰説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 22:40 UTC 版)
1964年、イギリスの生物学者、ウィリアム・ドナルド・ハミルトンが血縁淘汰説を発表する。一般にこの説が発表された時点が社会生物学の始まりと考えられている。社会生物学という分野の名称は、この血縁淘汰説などを援用して書かれたエドワード・オズボーン・ウィルソン の「社会生物学」(1975年)によって広く認知されるようになった。 血縁淘汰説は、まず自然選択で選択されるのは個体ではなく、遺伝子のもたらす表現型である、ということを明らかにすることから始まる。そして、自然選択を遺伝子の側から見直したのである。 自分の子を残すと言うことは、自分の遺伝子を残すと言うことである。これを遺伝子の側から見れば、自分と同じ遺伝子が入った個体が残るという言い方になるだろう。つまり、ある遺伝子が表す表現形が、たとえば体色が目立たなくて敵に見つからないなど、結果としてその遺伝子を持つ個体を増やすように働くなら、その遺伝子は自然選択によって残ることになる。遺伝子には行動に影響を与えるものもあるだろう。その場合、行動も他の形質と同じく、自然選択を受ける表現型として捉えられる。 そこで、遺伝子をより多く残すにはどうすればいいか。人間と同じ繁殖様式の動物では、親から見れば、子供には自分の半分の遺伝子が入っている。これを遺伝子側から見ると、親にある任意の遺伝子が、その子に含まれる確率は2分の1である。兄弟ではどうかというと、兄弟間で片方の持つ任意の遺伝子がもう片方に含まれる確率は、親子間同様2分の1である。そうすると、自分の持つ遺伝子を後世に残す方法として、子を産まなくても、兄弟を増やせばいいという選択も成り立つ。 いま、ここに自分は生殖に参加せず、母親を助けて兄弟を育てるという行動を取らせる遺伝子があったとする。そして、その行動を取ることによって、もし自分が単独で繁殖した場合に手に入る子孫以上の兄弟が手に入るとしたら、この遺伝子は兄弟を通じて自然選択に勝つことができる。これは遺伝子がそのように振る舞うという意味ではなく、より効率的な行動や形質を司る(あるいは影響を与える)遺伝子が、自然淘汰によって、そのような行動や形質をもたらさない対立遺伝子よりも数を増していくだろうと言うことである。 これが血縁淘汰説の概要である(ハミルトンのもとの論文は、複雑な数式をつかった難解なものである)。この説は、社会性昆虫の非繁殖階級を説明できるだけでなく、自然選択において選択される単位が遺伝子であることを明かしたことで、進化生物学の研究全般に大きな方向を示し、動物に広く見られる利他行動をはじめとした社会的な形質や行動の進化を説明可能にした。
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