荒井山シャンツェとは? わかりやすく解説

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荒井山シャンツェ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 13:44 UTC 版)

荒井山」の記事における「荒井山シャンツェ」の解説

現存する札幌市最古スキージャンプ台で、改修改名重ねながら利用され続けている。 1928年昭和3年2月秩父宮雍仁親王が冬の道民生活の視察かたがた札幌近郊山々ニセコでのスキーを楽しむために来道。その際秩父宮雍仁親王は、「将来日本オリンピック開催するとしたら、山が近い上、雪質恵まれ、しかも大都会大学もある札幌において他にない。そのためにはオリンピック用のシャンツェ必要だ良い所を見つけ、設計をして送ってくれれば、私が造れるようお世話しよう」と周囲の者に構想を残すが、当時日本国内オリンピック級のジャンプ台設計する者などいない状況であった。そこで、当時全日本スキー連盟会長稲田昌植木原均(ともに北大スキー部OB)が、秩父宮雍仁親王その旨申し出たところ、大倉喜七郎通じスキー先進国ノルウェーから専門家招き設計依頼することになる。口添えの元、同時京都滞在中だったノルウェー公使専門家招聘依頼したところ承諾されその1カ月半後に、ノルウェースキー界の重鎮でありシャンツェ構築世界的権威者のヘルセット中尉来日することになる。 1929年昭和4年12月ノルウェースキー指導者ヘルセット中尉指導受けて広田七郎設計した、木で組んで作った40メートル級のものである。これは秩父宮高松宮宣仁親王来訪にちなんで「荒井山記念シャンツェ」と名づけられた。 1940年昭和15年1月北海タイムス社出資により改修が行われ、45メートル級の「タイムス記念飛躍台となった1954年昭和29年)、森永製菓鉄骨改造したシャンツェ寄贈したため「森永記念シャンツェ」と呼ばれるようになった1973年昭和48年)、25メートルシャンツェ新設1981年昭和55年11月には、K点50メートルのミディアムヒルとK点25メートルのスモールヒルの2基体となったスキー場閉鎖後シャンツェ機能しており、2001年平成13年)から2003年10月までの3か年をかけて、全面改修が行われた。サマーヒル化された、K点55メートルのミディアムヒルとK点25メートルのスモールヒルの2基体制で、主に小中学生によって利用されている。

※この「荒井山シャンツェ」の解説は、「荒井山」の解説の一部です。
「荒井山シャンツェ」を含む「荒井山」の記事については、「荒井山」の概要を参照ください。

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