若葉会、東京毎日新聞演劇会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/17 01:20 UTC 版)
「文士劇」の記事における「若葉会、東京毎日新聞演劇会」の解説
若葉会は、1905年(明治38年)5月、在京新聞社の劇評記者によって組織された。 主な会員は、東京朝日新聞の右田寅彦、栗島狭衣、二六新聞の岡鬼太郎、岡村柿紅、時事新報の伊坂梅雪、報知新聞の鹿島桜巷、演芸通信の小出緑水、東京毎日の杉贋阿弥、人民新聞の松本当四郎などであり、東京日日新聞の岡本綺堂が作者として参加している。 第1回は1905年(明治38年)5月11日、歌舞伎座で上演された。出し物は『仮名手本忠臣蔵』三段目、『保名狂乱』、森鴎外『日蓮聖人辻説法』、岡本綺堂『天目山』などで、意外な好評を博している。続いて、1906年(明治39年)5月、第2回が上演された。 後に文士劇を東京毎日新聞社で事業として経営しようとし、結局、杉、岡、栗島および岡本の4人を中心に東京毎日新聞演劇会が組織され、1906年(明治39年)12月1日から5日間明治座で第1回を上演。女形には市川九女八、阪東のしほ、その他の女優、本職の市川寿美蔵、市川新十郎その他が参加した。 1908年(明治41年)12月までに6回開演したが、東京毎日新聞社の組織変更とともに解散した。
※この「若葉会、東京毎日新聞演劇会」の解説は、「文士劇」の解説の一部です。
「若葉会、東京毎日新聞演劇会」を含む「文士劇」の記事については、「文士劇」の概要を参照ください。
- 若葉会、東京毎日新聞演劇会のページへのリンク