若栃精機
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1981年(昭和56年)に株式会社若栃精機が株式会社日本精機の下請け会社として設立される。同年12月1日に稼働開始。若栃を中心とした地区が結成した工場誘致委員会が同集落への工場誘致を(株)日本精機に希望していたが、山間豪雪地帯のため就職希望者が少数であったため誘致に失敗した。同委員会がそのまま工場設立委員会に変わり下請け会社の工場設立に至った。従業員は女性中心の20名程で、スピードメーターの組み立て作業を行っていた。 元々は、集落内の女性達は小千谷市や十日町市の業者から出機を内職で行うことが伝統的であったが、1982年(昭和58年)当時は、出機の業界の構造不況による受注低下や水稲生産調整などによる農業収入の落ち込みなどが懸念されていた。その背景から、上で述べた委員会が発足され、設立に至った。 1988年(昭和63年)、労働省出先機関の立ち入り調査で、排気口の設備と労働環境の整備を指摘された為、翌年の1989年(平成元年)県単独事業の「農業等就労促進事業」を導入し、改善を進めた。同指定事業は、施設建設費45 %を県、残りの65 %を市が負担し、農村定住化を促進する為のもので県単独事業としては、若栃が第2号となった。スタート時点は7 - 8名だったが、1989年(平成元年)4月からは、45名(パートを含む)となった。旧工場は、民家の1部を改良したものだったが、前述したように従業員が増えたことなどから、手狭になっていた為、若栃精機新工場建設は、願ってもない話だった。同年夏にはこれまでの活動が評価され、先般、第1次の認定通知があった為、土地調査と設計書作成の段階に入った。当初は、若栃集落の当時のコミュニティセンター付近の比較的広い土地を予定していたが、事前調査で基盤の土質が軟弱であった為、同集落内の別の土地を利用することとなった。冬には、若栃精機新工場建設は完成し、12月16日には竣工祝賀会が開かれた。施設の規模は鉄骨造りの2階建で総事業費は5014万円となった。
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