若柳の花競馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 00:26 UTC 版)
「宮城県における花競馬」の記事における「若柳の花競馬」の解説
若柳町史によれば、明治41年旧8月12日[要出典]、北辰神社の祭礼に合わせて競馬が開催され、372頭出馬、3万人の見物人を集めたとある。競馬場はコース幅約11m、距離約650mだったという。 1934年(昭和9年)4月30日付けの河北新報には、4月28日に、若柳北辰愛馬会の幼駒運動場が落成した記念に花競馬大会を、同幼駒運動場で行ったとある。参加頭数は25頭、晴天に恵まれて1万人の観衆が訪れたという(写真参照)。 また、若柳町史には1948年(昭和23年)に競馬協会が発足したとある。現存する若柳競馬協会参考書類綴には、昭和23年10月31日付競馬開催要領として、「戦争によって中止していた当町自慢の花競馬を復活させ、明朗なスポーツ精神を喚起するため」の復活開催との旨が謳いこまれ、年2回以上の開催を目指すとされた。競馬場は栗原郡若柳町字片町(現・栗原市)に設置された。この開催が継続的か断続的か、またいつまで続いていたのかは分からないが、少なくとも、1957年(昭和32年)春季に若柳春競馬が開催された事を示す資料(レース番組表)が現存する。
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