花山院の御遁世をしる事とは? わかりやすく解説

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花山院の御遁世(とんせい)をしる事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:44 UTC 版)

安倍晴明物語」の記事における「花山院の御遁世とんせい)をしる事」の解説

前半『大鏡』六十五代花山天皇)」が元になっている) 花山天皇冷泉天皇第一皇子として即位し藤原頼忠の娘を女御とされた。この方弘徽殿の女御呼ばれたが、ほどなくして亡くなられた。その際の帝の嘆き限りなかった。こうして心乱れ折り、後の関白藤原道兼持っていた扇に心地観経文句書き付けてあるのを目にする。これにより寛和2年西暦986年6月22日発心し、厳久法師と道兼の2人だけを召し後宮貞観殿から忍び出て花山寺出家した法号入覚という。その後畿内霊場巡り那智3年修行し奇瑞得て都に戻って花山寺真言灌頂受けた亡くなったのは寛弘5年西暦1008年2月8日享年41天皇の位にあったのはわずか2年であった花山院出家する夜、花山寺に向かう途中晴明屋敷の前を通ったそのとき晴明は縁に出て涼んでいたが、帝座の星が急に位置変えるのを観た。晴明が「天皇が位を下りた徴。これはいかなる事か」と驚き声を上げるのを天皇物越し聞き足早に通り過ぎた晴明急ぎ参内しこれを報告したが、天皇の姿はすでになく、行方知れなかった。晴明天文理に通じているのは、かくのごとし。 (後半『後漢書』ある光武帝厳子陵厳光)の逸話(「逸民列伝 - 厳光伝」)が元になっている。ただし太宗厳子陵はまった別の時代人物で、了意が光武帝太宗取り違えている) その昔、唐の太宗李世民2代皇帝)が未だにあったとき、厳子陵という友人がいた。太宗帝位について後、厳子陵呼び出し、同じ寝床夜もすがら語り明かしたのだが、このとき寝入った厳子陵の足が太宗の腹の上もたせかけられた。同じ頃、天文台から「客星御座を犯す身分卑しき者が天子の位を狙っている)」と奏聞があったが、これを聞いた太宗は「大した事はない」と笑って答えたこのようなことは、その妙によく通じていないと知りがたいものである

※この「花山院の御遁世(とんせい)をしる事」の解説は、「安倍晴明物語」の解説の一部です。
「花山院の御遁世(とんせい)をしる事」を含む「安倍晴明物語」の記事については、「安倍晴明物語」の概要を参照ください。

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