船旅とアルハンブラ宮殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 23:24 UTC 版)
「マウリッツ・エッシャー」の記事における「船旅とアルハンブラ宮殿」の解説
1924年には旅行先のイタリアで出会ったイエッタ・ウミカーと結婚し、1926年には長男ジョージが生まれ、ローマに移り住んだ。1930年には風景画の最高傑作といわれる『カストロバルバ』を制作している。しかし、1935年に長男がイタリア少年国粋党の制服着用を義務づけられたことと、次男アーサーに結核の兆候が見つかったことから、一家はスイスに移り住んだ。 エッシャーはスイスの雪景色を好まず、雪景色に関する版画を一枚しか作成していないが、新しい環境は自分の内面を見つめなおす良い機会になった。単調な風景の中でエッシャーは次第に南の海に憬れるようになり、自分でスペイン南部にいたる船旅を計画、乗船代金のかわりに旅の途中に作製する版画を受け取ってくれないか、と船会社に提案した。当時はまだ全くの無名で、船会社がこの申し入れを聞き入れたのは幸運であった。このとき船賃として制作された48枚の版画には、『幻窓』『マルセイユ』『貨物船』などが含まれていた。旅行中スペインのグラナダのアルハンブラ宮殿で、ムーア人のモザイク模様を見て深い感銘を受ける。 この旅行のあと、後年の作品に多く見られることになる繰り返し模様の作品に挑戦しはじめた。ライオンに似た動物やこうもりで埋め尽くされた織物を作製して展覧会を開いたが、不成功に終わり、繰り返し模様の作品製作を断念する。精巧な版画家で知られるエッシャーも、始めは不恰好な動物しか作成が出来なかったのである。
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