航海守護神としての信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 04:28 UTC 版)
住吉大社については、海上交通の守護神とする信仰が最もよく知られる。『日本書紀』神功皇后紀には、鎮座した筒男三神の言に「往来船(ゆきかよふふね)を看(みそこなは)さむ」とあり、当時には三神を航海守護神とした認識が認められる。 この信仰については、前述の『住吉大社神代記』にあるように住吉三神は筑紫大神であり、元々は筑前の那の津(現博多湾)の地主神・守護神であったのを、三韓征伐後に分祀し、荒魂を長門の住吉神社に、和魂を当社に祀ったものであったが、難波の発展に伴ってヤマト王権の外港の守護神に発展したと考える説がある。 同様の航海守護神としては志賀海神社(福岡県福岡市)と宗像大社(福岡県宗像市)も知られるが、志賀海神社は安曇氏が祀る綿津見神社、海神社、および綿津見三神や豊玉彦を祀る神社の総本社であり、宗像大社は宗像氏が祀る宗像神社、厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社であるのに対して、住吉大社は特定氏族の氏神ではない点で性格を異にし(神職津守氏の氏神は大海神社)、伊勢神宮・石上神宮・鹿島神宮とともに古代王権にとって国家的機関の位置づけにあったと考える説もある。 第6代孝安期の創建とされる宮崎県宮崎市の住吉神社は、イザナギ・イザナミの神産みによる住吉三神の生誕地である日向国児湯郡の阿波岐原・檍原(あわぎはら)の場所にあり、これもまた海の神であり、航海の安全の神として信仰されている。 住吉社は律令制下でも遣唐使との関わりが深く、『延喜式』祝詞では遣唐使の奉幣時の祝詞に「住吉尓辞竟奉留皇神」と見えるほか、『万葉集』天平5年(733年)の入唐使への贈歌には遣唐使船を守る神として「住吉の我が大御神」と詠まれている(後掲)。また、円仁は『入唐求法巡礼行記』において遣唐使船の船中で住吉大神を祀ったと記すほか、『日本後紀』では大同元年(806年)に遣唐使の祈りをもって住吉大神に叙位のことがあったと見え、『日本三代実録』では渡唐する遣唐使が住吉神社に神宝を奉ったと見える。また、神職の津守氏からも遣唐使になった者があった。 後世もこのような航海守護神としての信仰は継続し、江戸時代には廻船問屋から600基以上の石燈籠が奉納されている。
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