航海専攻の潜水艦長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 17:56 UTC 版)
栢原は愛媛県出身の海兵49期生で、1921年(大正10年)に海軍兵学校を卒業した。皇族2名を除いた席次は174名中43番、翌年5月に少尉へ任官している。栢原は中尉進級と同時に第十四潜水艇隊附となり、その潜水艦歴を開始する。兵科将校は基本的に大尉時代に履修する専門課程によってその専攻が決定される。栢原は運用術練習艦航海学生を卒業した航海専攻士官であった。航海長を務めた艦は「伊56」、「伊64」、「伊5」のほか、給油艦「早鞆」、潜水母艦「長鯨」である。栢原在任時の「長鯨」は第一潜水戦隊(平田昇司令官)の旗艦であった。潜水艦専攻将校は水雷学校高等科を経て、潜水学校甲種を卒業することが潜水艦長への一般的なコースであった。栢原は水雷学校高等科や潜航指揮官養成課程の潜水学校乙種を経ずに、「呂66」潜水艦長に補され、3月後に潜水艦長養成コースである潜水学校甲種学生となる。栢原は6名中首席で卒業した。以後、機雷潜水艦「伊24」、海大六型a「伊68」、同「伊72」で潜水艦長を歴任した。海大六型aは艦本式複動機械(一号甲八型)を採用し、軍令部が要望していた水上速力23ノット(実際には24ノット)を実現した。これは海大六型aが当時の潜水艦中世界最高速の能力を有したこと、また日本の潜水艦技術の自立も意味する。1938年(昭和13年)11月に中佐へ進級し、翌年10月から潜水学校教官を務める。
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