自死と太宰の文学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:07 UTC 版)
流行作家であった太宰の心中は、マスコミに大きく取り上げられた。取り上げ方も単なる作家の自殺に止まらず、自殺一般についての言及へと広がり、太宰の死をもって戦後の第一次混乱期が終焉したとの論評もなされた。また太宰の小説を枕元に置いて後追い自殺を図る若者も現れた。 禅林寺の太宰の墓前では太宰の弟子に当たる作家の田中英光が自殺しており、その他にも墓前での自殺者や自殺未遂者が出ている。水上勉は太宰の死をきっかけとしていったん文学の世界に見切りをつけ、約10年間、新聞社や行商で生活した。 太宰の死に関して文学関係者から多くの意見が発表された。太宰の死の直前、福田恆存は「道化の文学」で「太宰治とは芥川龍之介の生涯と作品系列をいわば逆に生きてきた」と定義した上で、「その日その日が晩年であるような黄昏のうちで、いくたびか自殺を図り、その都度生きよと現世に突き戻された」と見なしていた。太宰の死後発表された中では、檀一雄が太宰の死と文学とを直接的に結び付けた代表的な人物であった。壇は「文藝の完遂」において太宰の死を「疑いもなく彼の文藝の抽象的な完遂の為」であり、「文藝の壮図の成就」であるとした上で、「太宰の完遂しなければならない文藝が、太宰の身を喰った」と評価した。伊藤整や平野謙もまた太宰の死と文学とを結びつけた議論を展開した。 また後年の研究でも、安藤宏は太宰の1948年の手帳に記された「人間失格」、「如是我聞」の創作メモを分析した結果として、現実の対人関係がストレートに作品に結び付けられていて、太宰本人と作中の人物との距離感を喪失しつつあり、創作上の重大な危機に陥っており、いわば文学上の自殺行為へと進んでいたと主張している。 その一方で、坂口安吾は「不良少年とキリスト」において、太宰がめちゃくちゃに酔って、言いだして、山崎富栄がそれを決定的にしたと、いわば酔っぱらた上で出できた死の話を、山崎富栄が決定的な役割を果たして心中に至ったとの、文学とは直接的な関係はないとする見方を示した。
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