臨済宗瑞巌寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 20:53 UTC 版)
江戸時代に入り、松島を含む仙台藩を領した伊達政宗は禅僧虎哉宗乙の勧めで円福寺復興を思い立ち、慶長9年(1604年)から14年(1609年)までの工事で完成させた。今に伝わる桃山様式の本堂などの国宝建築を含む伽藍は、政宗の造営によるものである。この折、寺の名を改めて「松島青龍山瑞巌円福禅寺」と称した。住持が一時不在だったが、寛永13年(1636年)に雲居が入り、伊達氏の保護もあって隆盛を極めた。この際、それまで瑞巌寺とは別個に存在した五大堂が、瑞巌寺の管理下に入った。政宗の隠し砦という説もある。 明治の初めに寺領が没収され、廃仏の風潮が盛んになると、収入を失った瑞巌寺は窮乏した。付属の建物が多く荒廃して失われた。明治9年(1876年)に明治天皇東北巡幸の際に下賜金があってから徐々に財政難を脱した。 大正12年9月、松島湾で捕れた鰻の供養として地元民の寄付金で鰻塚が建立された。 昭和28年(1953年)に本堂が国宝に指定されたほか、建築物等多くの文化財を有する。昭和43年(1968年)に大書院が完成し、昭和48年(1974年)には宝物館を開設した。宝物館には発掘調査などで出土した円福寺時代の遺物など約3万点が収められている。 平成20年(2008年)11月から平成30年(2018年)まで「平成の大修理」が行われ、2018年6月24日に落慶法要が営まれた。
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