脱・ガレージキット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 09:57 UTC 版)
90年代半ばを過ぎると、ガレージキット業界も会社が増え、「とりあえず売れそうなものを出す」といった状態が続き、マンネリ気味となって来た。海洋堂も株式会社となり、製品の質こそ保っていたものの、経営上、過去のように「作りたいものを好き勝手に作っていればいい」という訳にはいかなくなっていた。 その状況を打破するきっかけはアメリカの漫画作家であるトッド・マクファーレンが自ら玩具会社を興して製作した、自身の作品『スポーン』のアクションフィギュアであった。それまでのいかにも玩具然としたものとは一線を画する出来の良さであったため、海洋堂は新たな衝撃を受けた。 海洋堂としては、原型の段階でそのレベルのものを作る事はわけなかったが、問題はこのフィギュアがシリコーンゴム型による製法ではなく、マスプロ製品ではごくありきたりな金型による射出成型で作られたものであるということだった。金型を用いれば大量生産は可能となるが、どうしても再現度が落ちてしまう。それにも拘らず硬質、軟質の素材を巧みに使い分け、塗装にも模型の方法論を持ち込んだ『スポーン』のアクションフィギュアは出来が良かった。『スポーン』は日本でもヒットし、アクションフィギュアブームの立役者となった。これは海洋堂の闘志に火を点けた。 金型製作には巨額の初期投資(数百~数千万円)を要すため、海洋堂の企業規模では無理だろうと諦めかけていた。しかし、中国で生産すれば、日本国内で金型を起こし生産するのとは比べ物にならない低費用で出来ることが判明する。そしてこれがゴーサインになった。海洋堂は「こんなウチの水準をわざわざ下げたものを真面目に作るのは気が引ける、あくまでもシャレでやるんだ」というスタンスで動き始めた。商品化キャラクターは、『スポーン』と同じく暴力もの、しかもメジャー作品で、海洋堂ガレージキット全盛期のヒットシリーズでもあり、一種の「馬鹿馬鹿しさ」さえ持ち合わせている『北斗の拳』が選ばれた。 この海洋堂渾身のアクションフィギュアの流通を手掛けたのは誰あろう、当時『スポーン』の総代理店であったレッズであった。この為、海洋堂のアクションフィギュアはレッズの流通ルートに乗り『スポーン』同様、全国に瞬く間に展開してゆくことになる。また、2000年ごろにWEB制作会社のイットアップと共同で直販サイト「海洋堂公式オンラインショップ KMS」も立ち上げている。
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