脇坂安斐とは? わかりやすく解説

脇坂安斐

読み方わきざか やすあや

竜野藩主。東京住。通称三郎、名は安岑、号は香山迺屋・力囲斉(茶道)。子爵伊勢藤堂高猷の四子、安宅養子廃藩後錦鶏間祇侯、御歌所奉仕茶道宗徧の家元預り謡曲、鼓等諸芸極めた明治41年(1908)歿、70才。

脇坂安斐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/04 09:06 UTC 版)

 
脇坂安斐
脇坂安斐(龍野市歴史文化資料館蔵)
時代 江戸時代後期(幕末) - 明治時代
生誕 天保10年11月27日1840年1月1日
死没 明治41年(1908年2月27日
改名 鎮三郎(幼名)→安斐
別名 番山(法号)
墓所 兵庫県龍野市龍野町片山の小宅寺
京都府京都市右京区花園の妙心寺隣花院
官位 従五位下淡路守正三位子爵
幕府 江戸幕府
主君 徳川家茂慶喜明治天皇
播磨龍野藩主→龍野藩知事
氏族 藤堂氏脇坂氏
父母 父:藤堂高猷、母:橋本氏娘
養父:脇坂安宅
兄弟 藤堂高潔黒田長知安斐松平定昭
正室:井上正春
脇坂安足室
養子:安煕(脇坂安宅五男)
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脇坂 安斐(わきさか やすあや)は、江戸時代後期の大名播磨国龍野藩10代(最後)の藩主。龍野藩脇坂家12代。維新後知藩事子爵

生涯

天保10年(1839年)11月27日、伊勢国津藩11代藩主・藤堂高猷の四男として誕生した。龍野藩9代藩主・脇坂安宅の実子の寿之助(後の安煕)が幼少のため、安政5年(1858年)6月に安宅の養子となり、文久2年(1862年)4月22日の安宅の隠居に伴い家督を継いだ。

脇坂家は譜代大名であったため、安斐は佐幕派として摂津国の海防警備を務め、元治元年(1864年)の第一次長州征討慶応2年(1866年)の第二次長州征討にも幕府軍の一員として参加したが、長州征伐には消極的だったとされ、第2次長州征伐では安斐の病気を理由に出兵を辞退している。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府軍に恭順して、新政府に抵抗した姫路藩の攻撃や会津戦争に参加した。

明治2年(1869年)6月、版籍奉還により龍野藩知事に任じられ、その後は藩の職制改革などに努めたが、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で知藩事を免職された。明治17年(1884年)、華族令により子爵に叙された。明治41年(1908年)2月27日に死去した。享年70。

安斐の墓(小宅寺)
日本の爵位
先代
叙爵
子爵
龍野脇坂家初代
1884年 - 1908年
次代
脇坂安煕
(脇坂寿)



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