脇坂安弘とは? わかりやすく解説

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脇坂安弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/29 08:39 UTC 版)

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脇坂安弘
時代 江戸時代中期
生誕 元文3年1月21日1738年3月11日
死没 宝暦7年7月17日1757年8月31日
別名 主殿(通称)
戒名 定恵院殿
墓所 京都府京都市右京区花園妙心寺隣花院
東京都中野区上高田青原寺
官位 従五位下中務少輔
幕府 江戸幕府
主君 徳川家重
播磨龍野藩
氏族 脇坂氏
父母 脇坂安興津軽信興
兄弟 宝勝院、安弘安実竹腰勝起正室、
片桐貞芳正室、斉藤三益継室
松平忠名
安実
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脇坂 安弘(わきさか やすひろ)は、江戸時代中期の大名播磨国龍野藩5代藩主。龍野藩脇坂家7代。官位従五位下中務少輔

略歴

元文3年(1738年)1月21日、4代藩主・脇坂安興の長男として誕生。延享4年(1747年)に父が死去したため、家督を継いだ。12月に従五位下・中務少輔に叙位・任官する。

宝暦7年(1757年)7月17日に江戸で死去した。享年20。跡を異母弟で養子・安実が継いだ。

系譜




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