柳沢里旭とは? わかりやすく解説

柳沢里旭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/05 05:43 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

柳沢 里旭(やなぎさわ さとあきら、享保7年5月27日1722年7月10日) - 元文元年6月3日1736年7月11日))は、越後黒川藩の第3代藩主。大和郡山藩士・柳沢里光(先代藩主・柳沢里済の兄・柳沢保教の三男)の長男。母は柳沢重守の娘。通称、新五郎。

享保元年(1716年)生まれともされる。享保20年(1735年)、叔父で先代藩主の里済が若死にしたため、その養嗣子として跡を継いだが、翌元文元年(1736年)の将軍御目見の直後に死去した。跡を弟で養子の保卓が継いだ。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「柳沢里旭」の関連用語

柳沢里旭のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



柳沢里旭のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの柳沢里旭 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS