背景と創設(1995–1998年)
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「レメディー・エンターテインメント」の記事における「背景と創設(1995–1998年)」の解説
同社はパーソナルコンピュータ(パソコン)とコモドールのAmiga PC用のデモの制作に取り組んでいた様々なデモシーングループのメンバーによって設立された。フィンランド初の商用コンピュータゲーム開発企業であるBloodhouseとTerramarqueに触発された1994年、 Future Crewデモグループのメンバーは、自分達のグループだけでは商用開発者に発展することはなく、新しい会社を設立する必要があることに気付いた。彼らは、コンピュータゲームを制作するためにRemedyと呼ばれる会社を設立することに決め、デモシーンの経歴を持つ志を同じくする他の人達を募集し始めた。Remedyの創設メンバーは、Samuli Syvähuoko、Markus Mäki、Sami Nopanen、John Kavaleff、Sami Vanhataloである。会社は1995年8月18日に正式に設立された。会社が設立された当時、ほとんどのメンバーは20代前半に過ぎなかった。彼らは、エスポーのウエストエンド地区にあるSyvähuokoの実家の地下室で最初のコンピュータゲームを開発した。 チームは、チームが提案した最初のアイデアに基づいて、当初は『HiSpeed』として呼ばれていたレースゲームの開発を開始した。Apogee Softwareの創設者であるスコット・ミラーがクリエイティブな意見を提供し、レースゲームに車両戦闘要素を導入するべきだと提案した。ゲームは『Death Rally』に改称され、Apogee Softwareが1996年に同作を発売した。ゲーム用のダイアログを必要としていたため、RemedyのPetri Järvilehtoは長年の友人で当時ヘルシンキ工科大学で英文学を研究していたサム・レイクに連絡を取り協力を求めた。その後、レイクはRemedyに残り、最終的にスタジオのクリエイティブディレクターになった。 1997年、Remedyはベンチマークツール「Final Reality」も開発し、チームは後に新しい姉妹会社「Futuremark」として分社化した。1998年7月9日付の手紙の中で、 ルーカスアーツは弁護士のJohn Sullivanを通じてRemedyに申し入れを行い、Remedyのロゴはルーカスアーツのロゴの上部からコピーされたものであると主張して法的措置を取ると脅した。その時までに、当時のロゴは会社としてのRemedyを適切に反映していないためにRemedyはすでにロゴを再デザインする過程にあった。古いロゴは7月にRemedyのウェブサイトから撤去され、クエスチョンマークに置き換えられた。Kiia Kallioがデザインした新しいロゴは、1999年4月29日に発表された。
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