縁切榎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 06:45 UTC 版)
縁切榎(えんきり-えのき)は、榎大六天神(えのきだいろくてんじん)のご神木である。街道の目印として植えられていた樹齢数百年という榎(エノキ)の大木で、枝が街道を覆うように張っていたという。 その下を嫁入り・婿入りの行列が通ると必ず不縁となると信じられた不吉の名所であったがしかし、自らは離縁することも許されなかった封建時代の女性にとっては頼るべきよすがであり、陰に陽に信仰を集めた。木肌に触れたり、樹皮を茶や酒に混ぜて飲んだりすると、願いが叶えられる信じられたのである。 徳川家に降嫁する五十宮(いそのみや)、楽宮(ささのみや)、および、和宮(かずのみや、親子内親王)の一行は、いずれもここを避けて通り、板橋本陣に入ったという。 和宮の場合、文久元年(1861年)4月、幕府の公武合体政策の一環として将軍家茂に輿入れすることとなり、関東下向路として中山道を通過。盛大な行列の東下に賑わいを見せるのであるが、板橋本陣(飯田家)に入る際は不吉とされる縁切榎を嫌い、前もって普請されていた迂回路を使って通過したとのことである。なお、和宮の一行が菰(こも)で木を包んで真下を通ったとの話があるが、迂回路を造ってそちらを通ったことが史料で確認されている。 現在の榎は3代目の若木で、場所も道路の反対側に移動しているが、この木に祈って男女の縁切りを願う信仰は活きている。大六天神であるが、日本三大縁切稲荷に数えられることもある。
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