板橋宿とは? わかりやすく解説

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板橋宿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/31 03:52 UTC 版)

板橋宿(いたばししゅく)は、日本近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町中山道六十九次のうち江戸日本橋から数えて1番目の宿場[注釈 3]武蔵国のうち、第1の宿[注釈 4])。 同時に、川越街道川越児玉往還)の起点でもある。


注釈

  1. ^ 「きそ-かいどう いたばし-の-えき」 当時木曽街道と呼ばれた中山道の名所を描いた名所絵浮世絵風景画)『木曽海道六十九次』の1枚。
  2. ^ ぼうじ-くい、ぼうじ-ぐい、ぼうじ-こう。境界の目印として木製の建てられた標柱。
  3. ^ 名所絵では起点と終点も数に入れるため、表記上の数がずれる。したがって、浦和宿は「第二」の図。
  4. ^ 現在では、東京都に属する唯一の宿。
  5. ^ 宝亀2年(西暦771年10月27日以前は東山道武蔵国豊島郡広岡郷の一部。以後、東海道に属す。平安時代末期以降は板橋郷の一部。
  6. ^ 当時の表現では、宿内人別。
  7. ^ 当時の表現では、宿内惣家数。宿場内の総戸数。
  8. ^ 公用な荷物を伝馬で運ぶため、重量を測り運賃を決める役所。当時は貫目御改所(かんめ-お-あらため-しょ)と呼ばれた。中山道上の貫目改所は、板橋宿のほか、信州の洗馬宿追分宿にも設けられていた。
  9. ^ ばくろう-やど。馬に荷駄を背負わせ、それらを売りさばく商売をしていた人々が馬喰であり、彼らの宿泊のための施設を馬喰宿と言う。
  10. ^ 当時は旅立つ者を身内や知人が宿場まで見送りに出る習慣があった。
  11. ^ 現在の所在地:板橋区本町28
  12. ^ 距離・日本橋より2里25町33間、10.642 km。
  13. ^ 参考 :エノキニレ科エノキ属落葉高木で、江戸時代には街道を示す目印として一里塚や道路脇に植えられることが多かった。
  14. ^ 参考 :徳川将軍家御台所
  15. ^ マコモを粗く編んだ(むしろ)。今は(わら)を用いる。
  16. ^ ただし、西塚の2代目榎は昭和42年(1967年)に枯れ、その後、3代目が植えられた。
  17. ^ 板橋区教育委員会が2000年に清水坂に立てた説明板には「昭和三十年ごろまでは旧街道の面影を残していましたが、地下鉄三田線の開通など都市化の波によってその姿を変えました。」と記されているが、1955年(昭和30年)時点では志村地区における地下鉄敷設計画はまだ立てられていない。同年6月10日に都電志村線が延長開業されたため、ここでは「都電志村線」とするほうが歴史的に正当である。
  18. ^ 由緒ある古い寺。古寺。
  19. ^ 1 = 3.92727…km、1 = 0.109090…km、1 = 0.001818…km である。
  20. ^ 徒歩については「歩く」「徒歩旅行」を参照。短い距離を想定した現代の不動産業の基準値は、時速4.8 km(「徒歩所要時間」参照)。

出典

  1. ^ ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 144.
  2. ^ a b c d e f g 亀井千歩子ほか 『中山道を歩く』改訂版 山と溪谷社〈歩く道シリーズ 街道・古道〉、2006年、12- 13頁、ISBN 4-635-60037-8 :一部を除く
  3. ^ 『中山道宿村大概帳(なかせんどう しゅくそん-だいがいちょう)』に基づく。『宿村大概帳』とは、幕府の道中奉行所が調査した五街道とその脇街道の宿場の記録で、53冊が収蔵されている。各宿場の人口、家数、本陣、旅籠の数、高札の内容、道路の広さ、橋、寺社、地域の産業、特産品など、宿場と街道筋の村落の状況が詳しく記載されており、五街道分間延絵図とともに道中奉行所が用いたものらしい。成立年代不明ながら、天保から安政1840- 1850年代)にかけての調査と考えられている。
  4. ^ 新藤楼縮尺図”. 板橋区立郷土資料館. 2021年6月12日閲覧。
  5. ^ 上村敏彦『東京の花街、色街、艶な町』p.43
  6. ^ 江戸名所図会 1927, p. 31.
  7. ^ 江戸名所図会 1927, pp. 34–35.
  8. ^ 参考 :板橋十景 板橋(旧中山道の仲宿付近の石神井川にかかる橋)- 板橋区公式サイト
  9. ^ 現地「縁切榎」の立て札(板橋区教育委員会)の一文、その他に基づく。
  10. ^ 参考 :縁切霊木譚 - 日本史史料研究会
  11. ^ 参考 :板橋十景 志村一里塚 - 板橋区公式サイト
  12. ^ 板橋区ホームページ「時代を紡ぐ 志村一里塚は動かなかった!」
  13. ^ 参考 :板橋十景 石神井川の桜並木- 板橋区公式サイト
  14. ^ a b c 『日本紳士録 第41版』東京イの部49-50頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月28日閲覧。
  15. ^ a b c 『日本紳士録 第39版』東京イ、ヰの部49頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月26日閲覧。




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