志村の一里塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 06:45 UTC 版)
平尾の一里塚から上方(京側)へ、板橋宿を経て1里進んだ所に、日本橋から3里(約11.8km)、道中3つ目の一里塚である志村の一里塚が建てられている。2基一対の塚が、今日でも石垣と木(榎)をそのままにほぼ完全な形で保たれており、最も保存状態のよい一里塚跡の一つとして知られている。この区間の中山道が国道化された昭和初期の整備の際に元の位置のまま3段積みの石垣で土の崩れを防ぐようになり、石垣と国道との間の歩道が狭くなって、石垣を廻り込む別の歩道がある現在の姿となった。 このあたりからは荒川右岸、荒川低地と武蔵野台地成増台の境をなす崖地形となり、およそ20mにおよぶ高低差を急峻な坂道で下っていく。
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