綾部市設立以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 16:20 UTC 版)
「綾部市史」の年表によれば、雄略天皇16年、「桑に適する国境に桑を植え秦氏(はたし)を移住させて庸調を献じさせる」「漢部を集めて其伴造(とものみやつこ)を定め直(あたい)を賜う」と日本書紀に見られるとされる。 平安時代には隣接する福知山市とともに荘園が多く存在していた。 鎌倉時代、宮将軍に従って東下した綾部市上杉の豪族・上杉重房がいた。この一族は足利尊氏の親族となり栄え、市域にあたる丹波八田郷上杉は尊氏の出生地とも考えられている。足利将軍家により丹波国の安国寺利生塔である安国寺が置かれた。 南北朝、室町時代には、新田氏一族の江田氏が綾部城を築く。 江戸時代には水軍で有名な九鬼氏の2万石綾部藩、谷氏の山家藩1万石とその分家(旗本)の十倉領、梅迫領、上杉領、藤掛氏の上林領が成立した。 1892年 – 綾部町に住む出口なおが神懸かりし、新宗教大本の原型が誕生する。 1896年 – 郡是製絲株式會社が設立される。 1889年 – 明治の大合併により、現在の綾部市域には、何鹿郡綾部町、中筋村、吉美村、西八田村、東八田村、山家村、口上林村、以久田村、小畑村、物部村、志賀郷村、中上林村、奥上林村、佐賀村が発足。 1936年 – 第二次大本事件で大本教団土地を綾部町が購入、教団全施設破壊。 1945年 – ポツダム宣言受諾。綾部町、第二次大本事件で入手した土地所有権を大本に返還。 1949年 – 以久田村が小畑村を編入のうえ改称し、豊里村となる。
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