統制と廃刊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 14:53 UTC 版)
「三千里 (1929年創刊の雑誌)」の記事における「統制と廃刊」の解説
『三千里』は、日本統治時代の朝鮮における朝鮮人の独立運動にも好意を見せることがあった。当時の社会としては低俗と思われた性談義や市中の隠語、卑俗語等も淡々と紹介したので、朝鮮総督府学務局や検閲当局の統制をあまり受けなかったともいう。それでも、日本統治下の苛酷な言論統制による検閲で何度も原稿の押収と削除などに遭い、韓龍雲の「당시의 추억(当時の思い出)」、宋鎮禹の「세계를 향하여(世界に向かって)」などは押収され、朱耀翰の「세계의 거인 장개석(世界の巨人蔣介石)などは日本の敵国である中華民国の指導者を称賛したという理由で、薛義植の「인도시성 타고르 회견기(インドの詩聖タゴール会見記)」は日本の同盟国であるイギリスに抵抗する要人の称賛および朝鮮独立運動鼓吹などの理由で押収された。他にも「민족문학과 무산문학의 합치점과 차이점(民族文学と無産文学の合致点と差異点)」などの文章なども全部掲載することはできなかった。 『三千里』は、次第に現実と妥協して1937年以後には親日的な論説も掲載した。その後、出版統制に応じる形で、1942年3月に出た14巻第3号から『大東亜』と誌名を変えたが(3月に社名が大東亜社となり、5月号から『大東亜』と誌名を変えたともいう)、7月号をもって廃刊した。
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