結成までの道程とは? わかりやすく解説

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結成までの道程

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 13:45 UTC 版)

中国回教協会」の記事における「結成までの道程」の解説

満州事変以来イスラーム限らず様々な宗教において日本への抗戦動き見られたが、日中戦争勃発によってその流れ加速され宗教団結して日本立ち向かうという機運高まったかねてより全国規模イスラーム組織設立目指していた王静斎時子と共に1938年1月鄭州中国回民抗日救国協会(以下、抗日協会)を発足させ、1月10日には設立宣言宗旨含んだ中国回民救国協会宣言」を発布した抗日協会同年2月漢口現在の武漢)で行われていた国際侵略運動大会中国分会の反侵略運動宣伝週間で、全国ムスリム代表して侵略活動への反対表明したまた、それに触発され地元ムスリムモスクで反侵略大会挙行し、全国からムスリムの代表など来賓1000人が参加した。その中には国民党中央宣伝部部長邵力子など政府要人の姿もあった。また同年4月漢口で、抗日戦争参加すべく、ムスリムによる「漢口市回民戦地服務団」が組織された。これは同年8月に「中国回民青年戦地服務団」に改組され、迫りくる日本軍前にして全国ムスリム団結進んだ1938年4月ムスリムであり国民政府軍事参謀総長であった白崇禧が、漢口滞在している折に反侵略大会来賓として集まった全国イスラーム指導者たちと全国規模組織設立について協議し抗日協会拡大して中国ムスリム中心組織にすることを決定した同年5月漢口成立大会開き白崇禧理事長時子周と唐柯三を副理事長とする中国回民救国協会(以下、回民救国協会)が発足した全国組織目指す回民救国協会漢口発足したものの、当時漢口には刻一刻日本軍迫っていたため、陥落間近同年8月回民救国協会国民政府と共に重慶移り1939年7月第1回全国会員代表大会開催した大会で協会改組行いまた、名称を中国回教救国協会(以下、回教救国協会)に改めたこのようにして国民政府唯一の公認イスラーム組織誕生した

※この「結成までの道程」の解説は、「中国回教協会」の解説の一部です。
「結成までの道程」を含む「中国回教協会」の記事については、「中国回教協会」の概要を参照ください。

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