結婚とキャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 21:01 UTC 版)
「ベアトリス・レイン・スズキ」の記事における「結婚とキャリア」の解説
1906年、鈴木大拙がルーズベルト大統領と会った3日後、ヴェーダンダ協会での鈴木大拙の講演をベアトリスが聞きに行き、知り合った。1911年に日本に旅行し、同年鈴木大拙と結婚。結婚式は横浜領事館、披露宴は古美術商「サムライ商会」の野村洋三を媒酌人にホテルニューグランドで行なった。二人の間には息子ポールがいた。 1921年より大谷大学予科で英語を教えたほか、東方仏教徒協会(Eastern Buddhist Society)を設立し、日本や仏教についての著作を行なった。1924年に京都の自宅に神智学協会のロッジを設け、宇野円空、赤松智城、泉芳璟、山辺習学、羽溪了諦、森川智德、寿岳文章ら仏教系大学の教師らが会員となり、中流階級の女性の勉強会が多かった他国の神智学ロッジと違い、アカデミックな集いとなったが、会員の減少により1929年に閉鎖した。また、ベアトリスは東方の星教団(en:Order of the Star in the East)にも傾倒し、大拙はこれには批判的であった。 ベアトリスの墓所は鎌倉、東慶寺にある。
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