結婚とアカデミー入会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/22 15:16 UTC 版)
「ジャン=バティスト・デエ」の記事における「結婚とアカデミー入会」の解説
イタリアから帰国すると、デエはゴブランのタピスリー製作所長官フランソワ・ブーシェの長女ジャンヌ=エリザベート=ヴィクトワール Jeanne-Elisabeth-Victoire Boucher と1758年に結婚した。同年、王立絵画彫刻アカデミーはデエを準会員 agrée として迎え、1759年には正会員として認めた。入会の際の提出作品の主題は《アキレスに殺されスカマンダー川のほとりに横たわるヘクトル》(モンペリエ、ファーブル美術館)だった。この作品は1759年のサロンに出品された。同年には《偶像崇拝を拒絶する聖アンドレ》(ルーアン美術館)を制作した。幅が狭く縦長の画面に描かれたこの作品は、おそらく早くても1753年頃にルーアンの聖アンドレ教会から制作を依頼された3点の作品のうちのひとつである。このうち《聖アンドレの埋葬》は1758年に完成していた。
※この「結婚とアカデミー入会」の解説は、「ジャン=バティスト・デエ」の解説の一部です。
「結婚とアカデミー入会」を含む「ジャン=バティスト・デエ」の記事については、「ジャン=バティスト・デエ」の概要を参照ください。
- 結婚とアカデミー入会のページへのリンク