結婚とスキャンダル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/07 07:08 UTC 版)
「イザベラ・サマセット」の記事における「結婚とスキャンダル」の解説
1872年2月8日、ヘンリー・サマセット卿と結婚し、以後はレディ・ヘンリー・サマセット(Lady Henry Somerset)として知られるようになる。この縁組は双方にとって理想的なものに思われた。夫は第8代ボーフォート公爵(英語版)の次男で、分与される財産は無いに等しく、イザベラの裕福な相続財産が夫婦の生活を支えた。1874年5月18日、夫婦には息子が生まれヘンリー・チャールズ・サマーズ・オーガスタス・サマセット(Henry Charles Somers Augustus Somerset)と名付けられた。しかしヘンリー卿は同性愛者で、そのため結婚生活は悲惨な失敗に終わる。男性同性愛は当時のイギリスでは重大な触法行為だったが、女性たちは夫のどんな不品行にも目をつぶるのが美徳とされていた。レディ・イザベラは自ら夫の許を去り、息子の養育権を夫から勝ち取るために訴訟を起こし、夫の性的指向を社会に暴露したことで、それまで属していた上流社交界から非難された。彼女は1878年勝訴して息子を引き取り、自称もレディ・イザベラ・サマセット(Lady Isabella Somerset)に変更したが、社交界からは完全に排除された。ヘンリー卿は立場を失ってイタリアに逃亡したが、夫婦はレディ・イザベラーの信心深さのために離婚に踏み切ることはしなかった。レディ・イザベラは実家にほど近いレドベリー(英語版)に居を移し、慈善活動に没頭する日々を送った。1883年父が世を去ると、彼女はイーストノア城(英語版)、サリーとグロスターシャーの所領、ロンドンの邸宅とイーストエンドの貧民街に所有する地所を相続した。彼女はアングリカンとして育ったが、1888年代メソジスト派に改宗している。
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