終戦後の運行再開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 06:33 UTC 版)
1945年8月15日に終戦を迎えた後は、同年10月1日から生麦 - 鶴見駅西口線の運行を再開(後に生麦 - 鶴見駅西口 - 末吉橋の通し運行に変更)、10月8日には横浜駅 - 弘明寺線の運行が再開された。翌1946年(昭和21年)には横浜駅 - 三ツ沢線、磯子 - 間門線、生麦 - 大黒町線が再開された。車両は木炭バスに加え、電気バス21両と米軍払い下げのトラックを強引に改造したバス50両が用意され窮地を凌いだ。 1947年(昭和22年)夏、横浜市は東京急行電鉄、神奈川中央乗合自動車の2社と路線の臨時運転契約を結んだ。これは交通需要があるにもかかわらず、燃料・資材不足から運行休止となったり、間引き運転され無ダイヤ状態であった両社運行の路線を市営バスが肩代わりして臨時運行するというもので、東急の該当区間は東神奈川駅 - 川和(後の3系統)・横浜駅 - 杉田(後の110系統・4系統)、神奈中の該当区間は横浜駅 - 亀甲山(後の5系統)であった。これは戦後混乱期の臨時処置であったが、その後も市民交通の便宜のためには市営バスによる運行継続が必要との判断から、両社との相互乗り入れ協定が結ばれて共同運行路線となった。
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