糸井重里事務所
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1979年、沢田研二の「TOKIO」の作詞を担当。また、スナック等でちり紙やマッチなどで行う、気の効いた「芸」をまとめた著作『スナック芸大全』を刊行。自身の名義での処女出版となると共に、この年「東京糸井重里事務所」(現:「株式会社ほぼ日」)を設立。この事務所に、当時美大生でスタッフの友人であったみうらじゅんが盛んに出入りするようになり、糸井がみうらを『ガロ』編集部に紹介。みうらの漫画家デビューのきっかけを作った。 1980年9月から、サブカルチャー雑誌『ビックリハウス』において、読者投稿ページ「ヘンタイよいこ新聞」を担当。その「意味のない面白さ」で読者を熱狂させ、若者たちの教祖的存在となる。また、『ビックリハウス』に関係していた、新進気鋭のミュージシャン、アーティストとの交際も始まる。 1982年5月、新聞終刊記念イベントとして「ヘンタイよいこ白昼堂々秘密の大集会」を糸井と鈴木慶一らで企画。 また、1982年4月から1985年3月まで、NHKの若者向け番組「YOU」の司会も担当。 その後、西武百貨店の「不思議、大好き。」(1982)「おいしい生活」(1983) などのキャッチコピーでコピーライターとしても脚光を浴びる。仲畑貴志や川崎徹らと共に注目を集め、「コピーライター・ブーム」を呼んだ。 1983年からは『週刊文春』において「家元」と名乗り、読者投稿型のコピー講評「糸井重里の萬流コピー塾」の連載を開始。 1984年、有楽町マリオンの完成記念イベントとして「夕刊イトイ」を企画。 1989年、ゲーム製作のための会社「エイプ」を設立。制作した『MOTHERシリーズ』はカルト的なファンを生んだ。 1993年、女優の樋口可南子と再婚。 1998年、「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設。 2001年、雑誌「インパク」の編集長を務めて話題となった。
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