糸割符
糸割符制度(1604年 - 1655年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:38 UTC 版)
「長崎貿易」の記事における「糸割符制度(1604年 - 1655年)」の解説
南蛮貿易で輸入されたのは主に生糸(白糸)であった。ポルトガルはこれで莫大な利益を上げていたが、その支払いのため多量の金銀が国外へ流出した。このため慶長9年(1604年)に幕府により定められた糸割符制度で生糸の価格統制が行われた。しかし、生糸以外の取引は自由であった(相対売買仕方)。 明暦元年(1655年)中国商人の抵抗(この背景には鄭成功がいたと言われている)を受け糸割符制度は廃止され、相対売買仕方による自由貿易となる。
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