精神に問題のある語り手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 23:21 UTC 版)
「信頼できない語り手」の記事における「精神に問題のある語り手」の解説
知的障害や精神疾患のある語り手は、健常者とは違う表現をするため、結果的に「信頼できない語り手」になることがある。 ウィリアム・フォークナーの『響きと怒り』における複数の語り手の中には、知的障害を抱える人物が登場する。 映画『メメント』では、語り手は前向性健忘のため記憶を10分以上保てなくなっており、過去の出来事や自分の動機が何だったか、信頼できる方法で語ることが困難な状態である。またカットバックが多用されているため、何が真実なのか不明のままになっている。小説版では章の時系列が曖昧な構成になっている。 夢野久作の『ドグラ・マグラ』では、本人の自覚しない理由で、精神病院に入院している人物が主人公となっている。「自分が犯したかもしれない犯罪」を解決しようと努力する話であるが、「その物語自体が、発作による偽の記憶であるかもしれない」ことが示唆されている。 江戸川乱歩の『孤島の鬼』の中盤に登場する日記では、生まれた直後から土蔵に閉じ込められて育てられた少女が書き手であり、一般知識の大きな欠落と別の異常環境要因が歪な記述となって現れており、「どうしてあの人には顔がひとつしかないの」といった文が登場する。 H・P・ラヴクラフトによる『クトゥルフ神話』では、恐怖に晒されて正気を失った一人称の語り手を起用することが多く、これらの語り手を信頼できなくすることで謎を謎のまま残している。また語り手が自分の見た出来事を超自然的に解釈することを堅く拒み通すものの、最後に恐ろしいものに直面したことを認めざるを得なくなる、という手法をしばしば使っている(『ピックマンのモデル』など)。 映画『ジョーカー』では、主人公のアーサー・フレックの視点で物語が進むが、途中で、アーサーが体験したはずの出来事の一部が妄想であったことが明らかになる。また、物語終盤は精神病院に収容されたアーサーの場面となり、ますます事実と妄想の境界線が曖昧になったまま終わる。
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