篠原氏-家紋、菩提寺とは? わかりやすく解説

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篠原氏-家紋、菩提寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:48 UTC 版)

篠原一次」の記事における「篠原氏-家紋、菩提寺」の解説

尾張篠原氏正式な家紋は、左三つ巴である。左三つ巴は、家祖篠原長重篠原一孝篠原長次使用篠原長次篠原本家継承してからは、篠原本家(長次直系)で使用本家から分かれた2つ分家本家第2代当主篠原長次二男篠原長良大学)の家が、左三つ外巴、本家第3当主篠原長経二男・輝豊(刑部)の家が、角の内左三つ巴となる。篠原別家が、左二つ巴である(別家となった篠原一孝晩年になって使用したのか、篠原別家2代当主篠原一次以降使用したのかは、不明)。なお、『末森合戦図絵巻』(前田利嗣の命で明治30年1897年)から7年歳月費やして製作されたもの)には篠原長重篠原一孝登場描かれている)が篠原家家紋として指物旗差し物)に左三つ巴描かれ、さらに第三段前田利家出陣の図」と第七段「篠原一孝追及図」の一孝の袴に左二つ巴描かれている。前田利家佐々成政戦いとなった末森の戦いは、天正12年1584年)のことであり、この時点では篠原長次生まれておらず、篠原家に左二つ巴家紋存在していない。恐らく、幕末家老として活躍し明治大参事となった篠原別家第12代当主篠原一貞(一孝系)の家紋が左二つ巴だったので、念のため左三つ巴加えて二つ巴描き加えられたものと考えられる篠原氏菩提寺であるが、篠原本家本家からの2つ分家別家では篠原一孝篠原一次曹洞宗桃雲寺金沢市明治2年1869年)の火災前田利家芳春院位牌含め江戸時代までの位牌全て焼失)であり、篠原別家第3当主篠原重一以降日蓮宗立像寺(金沢市)である。家祖篠原長重葬儀は、京都東山光大禅寺執り行われたが、桃雲寺創建後菩提寺となる。また、篠原一孝前室円智院前田利家養女実弟佐脇良之の娘)は、日蓮宗妙法寺(金沢市)開基である。

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