第35中隊と隊員達のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/25 04:46 UTC 版)
「黒猫中隊」の記事における「第35中隊と隊員達のその後」の解説
一度は解隊した第35中隊であったが、その後1977年に第427連隊の麾下に、T-33練習機を配備した混成部隊(3個分隊は夜間攻撃任務、1個分隊は電子戦任務)として再編成され、「神鴎演習」と称する電子戦部隊となった。1989年には、AT-3に装備を改変し、事実上の独立中隊である第35戦闘隊、通称「羚羊中隊」として再々編成された。1992年、第35飛行隊は岡山基地で第499連隊に編入されて解散。装備していたAT-3は通常の練習機に戻されて、空軍軍官学校で運用中である。 初代隊長であった盧錫良は、退役後の1986年に家族とともにアメリカに移住。中国国内の台湾軍捕虜の人権、特に台湾への帰還の権利を訴える活動家として活躍し、2008年12月15日に死去した。 隊員の1人であった王錫爵は、1965年に退役後、中華航空のパイロットとなったが、父親に会いたい一心で1986年5月3日に貨物機で中国に亡命。中国民航のパイロットを経て、60歳で定年退職後は民航総局華北分局副局長を歴任した。 2010年3月26日、行方不明となった張燮と訓練中事故死した郄耀華、黄七賢が、国民革命忠烈祠に入祀されることが決まった。 2018年には、ドキュメンタリー映画『疾風魅影 黒猫中隊』(Lost Black Cats 35th Squadron)が台湾で公開された。
※この「第35中隊と隊員達のその後」の解説は、「黒猫中隊」の解説の一部です。
「第35中隊と隊員達のその後」を含む「黒猫中隊」の記事については、「黒猫中隊」の概要を参照ください。
- 第35中隊と隊員達のその後のページへのリンク