第1次全国ストライキ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 05:47 UTC 版)
「チリでの学生運動 (2006年)」の記事における「第1次全国ストライキ」の解説
ACESによれば、5月30日の時点で250以上の学校が機能停止状態にあった。この日は、平和的なデモを行うよう多くの声が上がっていたにも関わらず、様々な暴力的行動があった日として位置付けられている。高校生たちによるストライキの呼びかけは、チリ大学、チリ・カトリック大学及びサンティアゴ・デ・チレ大学の学生の関心を集めた。実際にストライキに参加した学生数は、概算で60万人 から100万人 とされている。 同日の朝、バチェレ大統領は内務相、財務相、教育長官などの政策チームのメンバーを大統領府呼び出した。その中で、ジリッチ教育長官が学生たちのリーダーら23人と直接会うため国立図書館に行くことが決まった。 国内の他の地域でも数多くのデモ活動が開催されていたが、多くのデモ活動が警察によって解散させられていた。サンティアゴのLiceo de Aplicaciónやチリ大学本校の周辺といったマイプー区、プエンテ・アルト、ラ・フロリダ区などで大規模な活動が展開された。この時、国立図書館の外で会談の結果を待っていた人々に向けて警察が催涙弾を撃ったことにより、広くから非難を受けることとなった。 警察が学生やバスや個人宅にいた見物人をも逮捕する映像が報道によって流された。また報道関係者も警察の特殊部隊の対象となってしまった。警察と学生たちとの攻防は夜を徹して続き、725人が逮捕され26人が負傷した。警察の対応は、世論に大きな不快感を与えた。報道機関や大統領本人からも警察に対する強い反応が示された。 我々の政府において、完全なる表現の自由と労働の権利は根源的なものです。このことが、ジャーナリストやカメラマンが学生たちと同じように乱暴、乱用、非難すべき不当な暴力によって傷つけられた最近の出来事に対し、我々が怒りを表明した理由です。我々は、警察に治安の維持を期待しているが、昨日目撃したような出来事は到底受け入れることはできない。 — ミシェル・バチェレ大統領 また、当初は警察を支持していた地方政府やサルディバル内相も、調査の開始と、特殊部隊の隊長と副隊長を含む10人の解雇を行うよう警察幹部に対して厳しい非難を展開した。その後のデモ活動は、テムコやバルパライソなどで行われ、そのほとんどが平和的に終わった。しかし、5月31日にサンティアゴのプラザ・イタリアでは暴動が発生し、54人の逮捕者を出した。
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