第一イザヤ書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 03:50 UTC 版)
預言者イザヤが繰り返し「アモツの子」と呼ばれているため、教父アウグスティヌスはその著書『神の国』の中で、預言者アモスの子であるとした。アモスの活動後約10年ほどしてイザヤは召命されたと考えられる。ただし、アモス、ホセアが北王国イスラエルで活動したと考えられるのに対し、前8世紀の預言者イザヤは、南王国ユダの首都エルサレムで活動した宮廷預言者であったと考えられる。そのため、アモスやホセアが主に出エジプトの伝承に拠っていたのに対し、イザヤにおいては、ダヴィデ王家とシオン(エルサレム)の選びの伝承が重視される。南王国ではほぼ同時代にミカ書によって知られる預言者ミカが活動したと考えられるが、ミカはエルサレムの徹底的な破壊をも預言した点が異なる。 また、イザヤがエルサレムで活動したということは、現実の政治権力への接近可能性という点でも重要であり、預言者イザヤは、ヒゼキヤ王の即位に際して役割を果たしたと推測される。 各章は、必ずしも年代順に編集されてはいないと考えられる。例えば、当然最初に置かれるべきだと思われる召命記事は、6章に置かれている。 1章には、『アモス書』にあるような生贄祭儀批判が見られる。 2章では、人間の傲慢と戦争が非難の対象となるが、この神ではない人間の高ぶりは、イザヤの預言の重要な主題の一つである。 6章は召命記事である。 7-8章はシリア・エフライム戦争に関するものである。(インマヌエル預言) 13-14章は、バビロニアに関する預言であり、アッシリアの時代に生きた第一イザヤの預言と考えるのは不自然なので、後代に帰される。 24-27章は黙示的であり、バビロン捕囚以後に帰されることが多い。 34-35章は、第二イザヤ書に類似していることが一般に認められている。 36-38章では、アッシリアの王センナケリブによる侵略が描かれる。紀元前701年にエルサレムは辛うじて陥落を免れたが、これがシオンの選びの確証と捉えられたと考えられる。同一の事柄に関する『列王記』下18-20章の記述は、ヒゼキヤが貢納を課せられたことに触れているが、この『イザヤ書』では言及されていない。
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