稲沢電気時代とは? わかりやすく解説

稲沢電気時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:07 UTC 版)

稲沢電灯」の記事における「稲沢電気時代」の解説

稲沢電灯前身である稲沢電気株式会社は、1912年明治45年7月12日愛知県中島郡稲沢町(現・稲沢市大字稲沢稲葉町1番地設立された。設立先立つ同年3月2日付で逓信省より電気事業許可受けている。設立あたったのは山田祐一社長就任)を中心とする稲沢銀行関係者など町内資産家であったとみられる設立時資本金は3万円であった稲沢電気設立され1910年代初頭は、名古屋市電力会社名古屋電灯(後の東邦電力)が長良川発電所八百津発電所といった大型発電所完成機に大口電力需要家開拓していた時期であった。それに呼応して隣接する一宮市でも1912年2月一宮電気設立されている。一宮電気稲沢電気自社電源持たず名古屋電灯からの受電電源とするという点で共通であった稲沢電気開業1912年大正元年12月25日12月末の時点では稲沢町と南の大里村にて電灯1050灯を点灯したほか、精米など食品加工用に電動機11台・計27馬力利用があった。 供給区域については、1914年大正3年)に稲沢町西明とさらに西側祖父江町(現・稲沢市)へと拡大稲沢町東側でも1916年大正5年)に丹羽郡丹陽村(現・一宮市)と西春日井郡春日村(現・清須市)、1918年大正7年)に西春日井郡西春村師勝村(現・北名古屋市)へとそれぞれ広がっていく。区域拡大域内での普及に伴い1920年5月時点での電灯取付戸数は7218戸、電灯取付数は1万4421灯に増加電動機織布工場電化織機用が出現するなど普及見られ1920年5月時点では75台・計234馬力利用があった。こうした需要増加に伴い電源である名古屋電灯からの受電電力開業時30キロワットから1920年初頭には284キロワットへと伸長している。

※この「稲沢電気時代」の解説は、「稲沢電灯」の解説の一部です。
「稲沢電気時代」を含む「稲沢電灯」の記事については、「稲沢電灯」の概要を参照ください。

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