稲永新田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/15 10:21 UTC 版)
稲永新田 | |
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北緯35度5分8.54秒 東経136度51分57.96秒 / 北緯35.0857056度 東経136.8661000度 | |
国 |
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都道府県 |
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市 |
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行政区 | 港区 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
市外局番 | 052[WEB 1] |
ナンバープレート | 名古屋[WEB 2] |
稲永新田(いなえいしんでん)は、愛知県名古屋市港区の地名。丁番を持たない単独町名。
地理
港区南部に位置する。現在は道路用地などの僅かな部分のみが存在する。東・南は潮凪町、西は稲永、北は一州町に接する。字り・ちは、稲永東公園南東部に飛び地として存在し周囲を稲永三丁目に接する。
字
稲永新田には、小字が存在する。現存する字は以下の通り[WEB 3]。
- か
- そ
- ち
- つ
- り
この他、かつては以下の字が存在した[WEB 4]。
- い
- た
- と
- な
- に
- ぬ
- ね
- は
- へ
- ほ
- よ
- ら
- る
- れ
- ろ
- 野跡(のせき)
- 屋敷(やしき)
歴史
稲富新田
稲富新田(いなとみしんでん)は、尾張国愛知郡の新田で、熱田前新田南西の海面を文政3年、粟田兵部が埋め立てたことで成立したという[1]。開発資金の面では内田忠次郎のバックアップがあったとされる[1]。1869年(明治2年)の記録には、荒地であるために無税だったとある[1]。1876年(明治9年)[注釈 1]もしくは1878年(明治11年)に永徳新田と合併し、稲永新田となっている[1]。
永徳新田
永徳新田(えいとくしんでん)は、尾張国愛知郡の新田で、宝来新田および稲富新田の南側海面を文政9年に熱田の大喜下総により開発された[2]。ただし、稲富新田と同様に内田忠次郎による開発ともされる[2]。安政年間に台風により大破し、海に還っていたが、慶応2年に岐阜の渡辺甚吉を中心に修復した[2]。稲富新田同様荒地であり無税だったとされる[2]。
町名の由来
稲富新田と永徳新田の合併により成立したことによる合成地名[3]。
沿革
- 1878年(明治11年)12月28日 - 愛知郡稲富新田と永徳新田が合併し、同郡稲永新田となる[4]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 合併に伴い、愛知郡寛政村大字稲永新田となる[4]。
- 1906年(明治39年)5月10日 - 合併に伴い、愛知郡小碓村大字稲永新田となる[4]。
- 1907年(明治40年)7月16日 - 合併に伴い、名古屋市稲永新田となる[4]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 南区成立により、同区稲永新田となる[4]。
- 1912年(大正元年)9月22日 - 台風により人家が壊滅的な被害を受ける[5]。30人死亡[5]。
- 1913年(大正2年)4月29日 - 名古屋尚農会により採種田が設置される[6]。
- 1930年(昭和5年)9月9日 - 一部が錦町となる[7]。
- 1937年(昭和12年)10月1日 - 港区成立に伴い、同区稲永新田となる[4]。
- 1940年(昭和15年)10月15日 - 一部が一州町・稲永町となる[4]。
- 1985年(昭和60年)7月15日 - 一部が野跡一丁目から同五丁目に編入される[7]。
- 1987年(昭和62年)11月22日 - 一部が錦町および稲永一丁目から同五丁目に編入される[8]。
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 5]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 6]。
町丁・丁目 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
全域 | 名古屋市立稲永小学校 | 名古屋市立港南中学校 | 尾張学区 |
脚注
注釈
出典
WEB
- ^ 総務省総合通信基盤局電気通信事業部電気通信技術システム課番号企画室 (2014年4月3日). “市外局番の一覧” (PDF). 総務省. p. 7. 2015年5月23日閲覧。
- ^ “管轄区域”. 愛知県自動車会議所. 2021年9月23日閲覧。
- ^ “名古屋市道路認定図”. 名古屋市. 2021年3月25日閲覧。「名古屋市港区稲永新田」のページを参考とした。
- ^ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2020年11月14日閲覧。
- ^ 名古屋市教育委員会事務局子ども応援委員会制度担当部学校計画室計画係 (2016年9月1日). “名古屋市立小・中学校の通学区域一覧(港区)” (PDF). 名古屋市. 2017年4月8日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2019年1月14日閲覧。
書籍
- ^ a b c d e 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 173.
- ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 241.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 510.
- ^ a b c d e f g 名古屋市計画局 1992, p. 838.
- ^ a b 北見昌郎 2016, p. 22.
- ^ 名古屋市会事務局 1963, p. 203.
- ^ a b 名古屋市計画局 1992, p. 839.
- ^ 名古屋市計画局 1992, pp. 838–839.
参考文献
- 名古屋市会事務局 編『名古屋市会史 別巻第2 総合名古屋市年表(大正編)』名古屋市会事務局、1963年3月10日。全国書誌番号:49011382。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。
- 北見昌郎『愛知千年企業 大正時代編』中日新聞社、2016年2月12日。ISBN 978-4-8062-0701-6。
関連項目
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