福田 (長崎市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 14:31 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動福田(ふくだ)は、長崎県長崎市の地域である。旧西彼杵郡福田村。
福田 ふくだ | |
---|---|
国 |
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地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
自治体 | 長崎市 |
旧自治体 | 西彼杵郡福田村 |
世帯数 |
4,320世帯 |
総人口 |
9,700人 (住民基本台帳、2016年10月末日) |
隣接地区 | 長崎市南部本庁地区、西部本庁地区、北部本庁地区、式見地区、滑石地区、小榊地区、 |
長崎市役所福田地域センター | |
所在地 |
〒850-0068 長崎県長崎市福田本町10番地 |
特記事項:管轄役所の名称について、2017年10月1日に福田支所から変更となった。 |
概要
長崎市西部の角力灘に面した地域である。南蛮貿易のポルトガル船の寄港地として1565年(永禄8年)に開港したが、外海(角力灘につながる東シナ海)に直接面していることが欠点となって寄港地は口之津港に移り、さらに1571年(元亀2年)には長崎港が開港した(長崎貿易の開始)[1]。1955年1月1日に旧西彼杵郡福田村が編入合併されたことにより長崎市の市域に含まれることになった。
町
1955年の長崎市編入以降、1956年末までは9郷をそのまま用い、1957年元日、町名設置を実施した。 小江原は現在、行政上の福田地区から除外されている。
1889年→1955年 | 1957年 | 2003年 | 現在 |
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福田村→長崎市大浦郷 | 長崎市大浜町 | 大浜町 | |
福田村→長崎市小浦郷 | 長崎市小浦町 | 小浦町 | |
福田村→長崎市本村郷 | 長崎市福田本町 | 福田本町 | |
福田村→長崎市小江郷 | 長崎市小江町 | 小江町 | |
福田村→長崎市柿泊郷 | 長崎市柿泊町 | 柿泊町 | |
福田村→長崎市中浦郷 | |||
福田村→長崎市上浦郷 | 長崎市上浦町 | 上浦町 | |
福田村→長崎市手熊郷 | 長崎市手熊町 | 手熊町 | |
福田村→長崎市小江原郷 | 長崎市小江原町 | 小江原1丁目~5丁目(2003) | 小江原1丁目~5丁目 |
現在の町
- 大浜町(おおはま)
- もとは半農半漁の地域であったが、宅地化が進み、福田地区の人口の半分弱を占める。地内を流れる大浦川(大浦の大浦川とは別の川)の右岸河口付近に、高層マンション・商業施設が立ち並ぶ。ながさき女神大橋道路の終点・大浜インターチェンジがある。かつては大浦郷という名称だったが、長崎港の対岸に同名の地区があるため改称。
- 柿泊町(かきどまり)
- もともと漁業地域だが、宅地化が進んでいる。住宅は海岸近くに集中するが、山間部を通る県道112号線の途中に長崎市総合運動公園(通称・かきどまり運動公園・陸上競技場)がある。住宅地と運動公園は山で隔てられ、狭い市道で繋がっている。また、総合運動公園の近く、小江原5丁目との境界付近に小江原中学校がある。
- 上浦町(かみうら)
- 山間部。県道112号が通り、それを中心に少ないながらも住宅が並ぶ。
- 小浦町(こうら)
- 半農半漁地区であったが、両側の大浜町・福田本町とともに宅地化が進む。中央部には商業施設があり、住民の利便性も比較的高い。
- 小江町(こえ)
- 漁業地域。小江・小江小浦の2集落がある。その中間の海岸部は埋め立てられ、木材工場や西部ガスの工場が立地する。小江地区からは市道が小江原へと延びる。
- 手熊町(てぐま)
- 半農半漁地区。手熊浄水場・手熊小学校・西部地区事務所がある。
- 福田本町(ふくだほんまち)
- 福田地区の中心。半農半漁地区で、大浜町・小浦町ほどではないが宅地化が進む。福田小学校・福田中学校・市役所福田地域センターがある。海岸部には「福田の遊園地」こと長崎遊園地があったが、現在はその対岸に長崎サンセットマリーナがある。住宅は海岸部に密集するが、山間部にもわずかながら集落(親和地区)がある。
- (小江原1丁目~5丁目)
- 現在は本庁管轄地区として扱われている。詳細は長崎市の地名#1938年以降に編入された区域を参照されたい。
交通
鉄道・バス
- 長崎自動車(長崎バス)
道路
施設
公共
- 長崎市役所福田地域センター
- 西部地区事務所
教育機関
- 長崎市立福田中学校
- 長崎市立福田小学校
- 長崎市立小江原中学校(名前は小江原だが、柿泊町にある)
- 長崎市立手熊小学校
脚注
- ^ “出島の誕生と南蛮貿易”. 甦る出島. 長崎市. 2014年5月23日閲覧。
参考文献
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 42 長崎県』1987年 ISBN 9784040014203
関連項目
「福田 (長崎市)」の例文・使い方・用例・文例
- 私、株式会社福田製薬の総務部の阿部と申します。
- 福田さんの家へちょっとよって行こう。
- 彼は福田派に属していました。
- 福田教授はバイオテクノロジーの分野で優れた業績をあげている.
- 福田康(やす)夫(お)内閣官房長官は5月7日の記者会見で辞任を表明した。
- 福田氏を含む7人の閣僚が,義務づけられている国民年金の保険料を納めていなかったと認めた。
- 4月23日に,福田氏は60歳の時点で保険料を支払っていたと述べた。
- その後4月28日には,福田氏は3年1か月間保険料を支払っていなかったことを認めた。
- 5月7日に発売された週刊誌は,福田氏が実際は5年8か月間保険料を納めていなかったと報じた。
- これは福田氏が石油会社を退職した後,衆議院議員になる前の13年間のことだった。
- 福田氏は自分が国民の政治への信頼を弱めたと認めている。
- 福田首相が拉(ら)致(ち)被害者家族と会談
- 10月26日,福田康(やす)夫(お)首相は北朝鮮によって拉(ら)致(ち)された日本人の家族と首相として初めて面会した。
- 面会で,福田首相は被害者家族との関係を改善したいと強調し,「私はかつて対話を重視しすぎると非難された。しかし,この問題についてみなさんを本当に助けたいと思っている。」と話した。
- 当時の官房長官だった福田氏は,拉致被害者のうち一部はすでに死亡したという北朝鮮のメッセージを家族に伝えた。
- 福田氏は対話重視の姿勢を続け,このことが被害者家族の不信を招いた。
- 被害者家族の代表である横田滋(しげる)さんは,福田首相との面会後に「これほど長いこう着状態を経て,事態が好転することを期待している。」と話した。
- 被害者家族のもう1人の代表である飯(いい)塚(づか)繁(しげ)雄(お)さんは,福田首相がこの問題の追求にそれほど熱心であるように感じられなかったと話した。
- 福田首相が辞意を表明
- 9月1日,福田康(やす)夫(お)首相が記者会見を開き,突然辞意を表明した。
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