祭礼の様子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/07/19 19:00 UTC 版)
江戸後期より参道に提燈、旗竿を立て、大正初期には所沢(埼玉県所沢市)より八尺余(約250cm)の神武天皇、新田義貞、加藤清正の山車人形を借り受け、講壇の上に飾り立てた。祭礼当日は神輿を先頭に神主が供奉、氏子総代、神輿係が警護し、小学生が灯篭を持って道路を照らし、振り万燈2基には「村内安全」「五穀豊穣」と書かれていた。2基の山車では「西三ツ木ばやし」が演奏され、ヤグラでは道々で「道中(どうちゅう)」(別名、ろっぺん返し)を、神酒所に到着するとヤグラを地面に置き「車切(しゃぎり)」が演奏された。大山車では5人囃子が演奏され、どちらの山車も白粉に晴れ着姿の子供を先頭に、西三ツ木流木遣り、法螺貝、拍子木を打ち鳴らしながら村廻りを行った。昭和中期には根通り(東京都道・埼玉県道63号青梅入間線 )を東は入間市上谷ヶ貫、西は入間市木蓮寺まで練り歩き、その道々において、近隣の青梅藤若囃子(東京都青梅市藤橋)、南峯囃子連(現・桂囃子保存会)、新久はやし保存会を招待し演奏させた。現在は、交通事情もあり西三ツ木、三ツ木台のみを廻るだけである。西三ツ木ばやしの演奏は御神体を神輿から天王山の金子神社に遷し、神輿が下山するまで賑やかに行われる。
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