社名変更と事業拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 17:04 UTC 版)
1954年(昭和29年)には社名から「敦賀」を外し、「日本ピー・エス・コンクリート株式会社」に改名した。改名は七尾のピー・エス・コンクリート株式会社に対する対抗意識から、七尾より先に「日本」を冠した社名にしよう、という狙いもあったとされる。 同年には用地拡張のため、市内の旧小松製作所用地の取得斡旋を市に依頼した。小松製作所は戦時中、軍の要請で敦賀駅東南の水田に工場の建設を開始したが、中途で終戦を迎え、1948年(昭和23年)に工場は売却された。用地は駅にも近く工場適地であったことから、さまざまな企業が進出を予定していたが、未使用のまま放置され、現所有者による利用の見込みもないことから市が斡旋に応じ、鉄道引込線用地も提供するなど便宜をはかった。1955年(昭和30年)には新用地で工場が完成した。 この時期には工法の特許が期限を迎え、他社の参入で競争が激化することが予想されたことから、1956年(昭和31年)3月には大阪営業所を開設、以降は名古屋(1958年4月)、東京(同12月)、福岡(1959年8月)と、全国に営業所を展開、営業力を強化した。1960年(昭和35年)以降は工場合理化総合計画を推進、生産力を強化し、高速道路や国鉄線の新設に備えるとともに、巻き返しつつあった鋼橋業者に対抗した。この時期に第三工場やセメントサイロ、砕石設備が完成した。
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