社名変更の決断
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1976年(昭和51年)に四条河原町阪急が開業するなど時世が変化していた。これに対して、近鉄流通グループとしてのスケールメリットを図るべく、父が創業した丸物の社名を京都近鉄百貨店(きょうときんてつひゃっかてん)に改称することを決断し、1977年(昭和52年)5月27日付けで実行した。橋本達吉や後年に社長となった髙田多喜男のほか、同業他社からも偉大な決断だとして、非常に高く評価されている。これと同時に橋本達吉に社長を譲り、自身は京都近鉄百貨店の会長職と近鉄百貨店の取締役に就任した。以降、現在の近鉄百貨店社長に至るまで、基本的に2期4年ごとに社長は交代するようになった。1981年からは京都近鉄百貨店でも取締役相談役に退く。1983年(昭和58年)5月には藍綬褒章の授与を受けている。
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