確証の全体論と存在論的相対性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 14:51 UTC 版)
「ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン」の記事における「確証の全体論と存在論的相対性」の解説
「翻訳の不確定性」とその延長上にあるクワインの仕事を支えている中心的なテーゼとは「存在論的相対性」ならびに「確証の全体論」に関する格率である。確証の「全体論」の前提とは、いかなる理論ならびに理論から導出される命題も経験的なデータ(データ、センス・データ、証拠)によって過小決定されているというものである。 いくつかの理論は、データに一致しないか[検証することが]実行不可能なほどに複雑であり、正当でないが、同様に多くの正当な代案もある。ホメロスの神々の存在は偽であるという(観察不可能な)ギリシャの仮説がある一方で、(観察不可能な)電磁波に関する我々の仮説は真であり、両者はただ我々が自身の観察を説明する能力によってのみ正当化されるのである。 クワインは『経験主義の二つのドグマ』において次のように結論を下した。 「私は経験主義者として、科学の概念図式を道具として考え続けてきたが、結局のところ、過去の経験に照らして未来の経験を予測するのである。物理的対象は、経験の用語による定義ではないが、しかし単に、認識論的に、ホメロスの神々と比較できるような仮構にも帰すことはできないような手近な媒介者として状況の中に概念的に持ち込まれる。[...]私は物理学者として、ホメロスの神々ではなく物理的対象を信じる。そして、そうでないようなものを信じることは科学的誤謬であると私は考える。しかし、認識論的な基礎の点で、物理的対象と神々は質ではなく程度において異なっている。両方の存在者の種類は、文化的仮構としてのみ私たちの概念に参入してくるのである。」 クワインの存在論的相対論(上記を参照)は、経験的根拠の収集にとって、それを説明できる多くの理論が常にあるだろうという彼とピエール・デュエムとの見解を一致させた。しかし、デュエムの全体論は、クワインのものよりもさらにより狭く限定的である。デュエムにとっては、決定不全(underdetermination)は物理学 だけか、あるいは自然科学に適用されるが、一方でクワインは人間の知識全てに適用される。したがって、全ての理論を検証乃至反証 することが可能である一方で、個々の命題を検証乃至反証することはできない。ほとんどの特定の言明は保持され、理論を含んでいるものの根本的な修正を加えることが十分に可能である。クワインにとって、科学的思考は経験的根拠に照らしてどの部分も代わりになりうるような網を形成し、そして経験的根拠がないところにおいては、部分形成の見直しをさせる。 クワインの著書は科学哲学における道具主義の広範な受容をもたらした。
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