石井義信とは? わかりやすく解説

石井義信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/18 14:53 UTC 版)

石井 義信(いしい よしのぶ、1939年3月13日 - 2018年4月26日[2])は広島県福山市出身の[3][4]日本代表サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはミッドフィールダー(MF)[5]


  1. ^ 外国籍選手の中には、当時の日本サッカーを後進国のアマチュアと侮る者も少なくなかった[17]
  2. ^ それまでの日本代表監督は関東大学サッカーリーグに所属する名門大学出身で、古豪代表選手としても実績を持つ者という慣例があったが、森が結果を残せなかったことで、代表としての実績は関係なく、フジタの指導者としての実績が重視された[18]。石井は代表経験が1試合しかなく、しかも高卒で、さらにフジタという新興チームに所属していた[20]
  3. ^ 3ヶ月も先の日程にもかかわらず、日本サッカー協会は10月10日に東西対抗のテレビ放送を予定していたことから同日の中国戦開催を拒否。石井は「それならどこの田舎でもいいから試合をさせてくれ」と嘆願したが、「ばかもの!お前らの強化費用はどこから出てると思ってるんだ!」と一蹴された。
  4. ^ 前任の森は長期政権を予定されていたが、プロ化への改革要請が日本サッカー協会に受け入れられず辞任。
  1. ^ a b c d “石井 義信”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_a/yoshinobu_ishii.html 
  2. ^ a b サッカー元日本代表監督の石井義信さん死去 86〜87年に指揮”. スポーツニッポン (2018年4月27日). 2018年4月27日閲覧。
  3. ^ a b c d e “サッカー元日本代表監督 石井氏死去”. NHK NEWS WEB (NHK). (2018年4月27日). オリジナルの2018年4月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180427182702/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180427/k10011421201000.html 2018年4月28日閲覧。 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o ライツネットワークメンバー 石井義信 プロフィール RIGHTS
  5. ^ a b c 岡野元会長の訃報に、ソウル五輪予選代表監督の石井氏、エピソード語る スポーツ報知 (2017年2月4日)
  6. ^ “【サッカー】石井義信さんが死去 サッカー元日本代表監督”. 産経ニュース. (2018年4月27日). https://www.sankei.com/sports/news/180427/spo1804270052-n1.html 2020年2月16日閲覧。 
  7. ^ a b サッカーダイジェスト No.1338』日本スポーツ企画出版社、2015年、114頁。 
  8. ^ a b 体協資料室で調べものの後、日本サッカー史研究会を取材。 白髭隆幸の毎日がスポーツ三昧! (2010年5月17日)[信頼性要検証]
  9. ^ アカシア会 公式サイト[リンク切れ]
  10. ^ 歴史 - 藤和那須リゾート
  11. ^ 第10回 セルジオ越後(2)リベリーノと競ったブラジルの技術の高さをJSLで披露
  12. ^ 藤江直人 (2017年). “フジタ・金子副社長×湘南ベルマーレ・水谷社長対談…「縁をずっと持ち続けていきたい」”. Goal.com. https://www.goal.com/jp/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/%E3%83%95%E3%82%B8%E3%82%BF%E9%87%91%E5%AD%90%E5%89%AF%E7%A4%BE%E9%95%B7%E6%B9%98%E5%8D%97%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AC%E6%B0%B4%E8%B0%B7%E7%A4%BE%E9%95%B7%E5%AF%BE%E8%AB%87%E7%B8%81%E3%82%92%E3%81%9A%E3%81%A3%E3%81%A8%E6%8C%81%E3%81%A1%E7%B6%9A%E3%81%91%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%84/xkilcyu0mepp1v150ojn2t3og 2018年4月28日閲覧。 
  13. ^ フジタ工業(藤和不動産)サッカー部創部の経緯: 蹴球本日誌
  14. ^ 加部,132頁
  15. ^ a b c d e f “信念貫き日本サッカーの発展に尽力/石井義信氏悼む”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2018年4月28日). オリジナルの2018年4月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180427165231/https://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/201804270000917.html 2018年4月28日閲覧。 
  16. ^ 加部,117-119頁,133頁
  17. ^ 加部,118頁
  18. ^ a b c d e 平塚,124-126頁,151頁
  19. ^ a b c d e f g 西部・43-55頁
  20. ^ a b c 後藤(2002年),230-235頁
  21. ^ a b c 後藤(2007年),247-250頁
  22. ^ a b c d 日本サッカー協会75年史編集委員会,128-129頁
  23. ^ a b “Jリーグでは主流も、日本代表ではなじみの薄い4-4-2。基礎的なアイデアを持ち込んだオフト【西部の4-4-2戦術アナライズ】”. フットボールチャンネル (カンゼン). (2016年7月20日). オリジナルの2016年2月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160725162020/http://www.footballchannel.jp:80/2016/07/20/post164639/2 2018年4月28日閲覧。 
  24. ^ a b 藤江直人 (2017年11月30日). “【E-1選手権前に振り返る】日本代表、中国との激闘の歴史”. サッカーキング (フロムワン). オリジナルの2017年12月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171204173753/https://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20171130/673722.html 2018年4月28日閲覧。 
  25. ^ 日刊スポーツ、2010年4月6日8面、4月7日9面
  26. ^ 日本サッカーリーグ『1990-1991JSLイヤーブック』南雲堂、1990年、70頁。ISBN 4-523-31032-7 
  27. ^ 日本サッカーリーグ『1991-1992JSLイヤーブック』南雲堂、1991年、72頁。ISBN 4-523-31033-5 
  28. ^ サッカー親善大使・石井義信さん/「まちづくり」にも提言/石垣市
  29. ^ a b c d FC東京にアドバイザーが加入 - ウェイバックマシン(2001年4月9日アーカイブ分) FC東京 (2001年2月17日)
  30. ^ FC東京頑張れ ホームの熱発信-マイタウン東京 朝日新聞デジタル


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