大島治男とは? わかりやすく解説

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大島治男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/29 14:25 UTC 版)

大島 治男
名前
カタカナ オオシマ ハルオ
ラテン文字 OHSHIMA Haruo
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1939-05-07) 1939年5月7日(86歳)
出身地 広島県
身長 161cm
選手情報
ポジション FW
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

大島 治男(おおしま はるお、1939年5月7日 - )は、広島県出身のサッカー選手。元サッカー日本代表

来歴

現役時代は、小柄ながら抜群のボールコントロールを持ち合わせた選手[1]

中学からサッカーを初め、広島サッカー御三家であった広島大学附属高校に入学[1][2]鬼武健二、高重清純、丹羽洋介野村尊敬桑田隆幸らとプレーしている。

高校卒業後、東洋工業(現マツダ)に入社、東洋工業蹴球部(現サンフレッチェ広島)に所属する[1]。1962年の全日本実業団サッカー選手権大会優勝に貢献、1965年にJSLが始まると、初年度には岡光龍三松本育夫、桑田隆幸、桑原楽之中村勤らとともにFWの一員として東洋工業無敗優勝に貢献、1960年代後半の黄金期のメンバーとして活躍した[2]

その活躍から代表に招集され、1959年高橋英辰率いるU-20サッカー日本代表に選ばれAFCユース選手権1959出場し3位入賞[3]1962 FIFAワールドカップ・予選のメンバーに選ばれ、1960年11月7日ソウルで行われた対全韓国戦に出場(Cキャップ)し得点を挙げている。

2016年現在、東広島市にある「東広島四十雀サッカークラブ」に所属する現役のプレーヤーであり、四十雀SCの少年部門である「リトル・ティット」の監督として活躍している[2]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 - 天皇杯 期間通算
1965 東洋 20 JSL 0 0 -
1966 東洋 20 JSL 0 0 -
1967 東洋 20 JSL 2 0 -
1968 東洋 JSL 0 0 -
1969 東洋 JSL 0 0 -
1970 東洋 JSL 0 0 -
通算 日本 JSL 2 0 -
総通算 2 0 -

脚注

  1. ^ a b c 『サッカーマガジン』67年5月01日号
  2. ^ a b c 秋風にのってキックオフ スポーツの秋” (PDF). 東広島市 (2004年11月). 2012年5月12日閲覧。
  3. ^ 第55回 高橋英辰(3)第1回アジアユースで銅メダル。暗いサッカーに灯をつけたロクさん”. 賀川サッカーライブラリー. 2012年5月12日閲覧。

参考資料

関連項目




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