石井の科学読み物の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 02:48 UTC 版)
金属学者の山本洋一は「理科十二ヶ月の思い出」の中で、次のように書いている。 小学校の4年生であった私がむさぼるように読んだ書物の中の一つが『理科十二ヶ月』であり、忘れようとしても忘れられない。…私が現在において金属の腐食に関する研究に従事し、科学者としての生活をするようになった、その根元が『理科十二ヶ月』によって与えられた自然科学への憧憬であったとすれば、私とこの書物とは本当に切っても切れない因縁があったと申すべきである。 山本洋一は太平洋戦争の戦時下の子供向け科学書についてもこのように述べている。 現在は科学振興の波に乗ってずいぶんと多くの通俗科学書が出版されているが、本当に子供の心の中に深く食い込むような書物は少ないといわれている。私は、子供のために科学の本を書かれる科学者は、一度この理科十二ヶ月を読まれたらどうとかと思う。そしてこの型式を今に生かしていただけたらばと、考えるのである。 また坪内祐三は次のように書いた。 (理科十二ヶ月は)私が九歳の時であり、貧乏な父親が、私らたくさんの子供のために、毎月買うことを許してくれた唯一の冊子である。…そのころ1冊10銭であったか。このぐらい私の悦びを満たしてくれた本はない。押し花の標本を作り、昆虫採集をし、鉱物や魚の標本に熱中し、土器採集に出かけたのも、みんなこの石井研堂の本の影響であった。 朝永振一郎は随筆で次のように回想した。 四年生のころ石井研堂という人の書いた「理科十二ヶ月」という本を買ってもらった。この本には手細工の簡単な道具でできる、いろいろの実験の仕方が書いてあった。たとえば、赤インキで紙に絵を書いて、それを白い壁のところに置いてじっとにらんだあと、その絵をどけると白い壁の上に、それと同じ絵が緑色に見える、などというたぐいであった。たわいもないといえばたわいもないが、そんなのを一つ一つやってみて楽しんだ。…学校で理科を習うようになってから、…その頃になると自分でももっと高度なことがやりたくなった。友達と図書館の児童室に行くことを覚え、そこで例の石井研堂の、もっとアドヴァンスド・コースの本を見つけ、それをむさぼり読んだ。その本の中から、釘にパラフィン紙を巻き付けて電信機が簡単に作れることを学んだ。電池がいるが、それは親父にせがんで買ってもらった。 『理科十二ヶ月』って本があるんですよ。それを親父が買ってくれた。ただ12冊あるんですけどね、それ、その月々に応じたいろんな話が書いてあるわけです。…それを、1冊ずつ読めってわけなんですよ。ところがね、もう早く次のが見たくてしょうがないんですよね。親父はいっぺんに出すと、全部いっぺんに読んじゃうからっていってね、どっか押し入れの隅っこの奥の方へしまってあるんですよね。それを親父にそうっと内緒で、踏み台持ってきて、引っ張り出そうとしたことなんかを覚えていますけどね。 板倉聖宣は『少年工藝文庫』全24冊について、 この本は従来の科学読み物と比べて少し程度が高いが、このころになると、程度のやや高い科学読み物も多数の読者を持つようになって、商業出版の対象とすることができるようになった。 と述べている。
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