監視活動の考え方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 02:05 UTC 版)
「コースト・ウォッチャーズ」の記事における「監視活動の考え方」の解説
フェルドは機関の暗号名(コードネーム)として「フェルディナンド」(Ferdinand)を選んだが、これは当時人気だった児童書、「牡牛フェルディナンド」(Ferdinand the Bull)から取ったものである。 彼は、これについて次のように述べている。 Ferdinand ... did not fight but sat under a tree and just smelled the flowers. It was meant as a reminder to coastwatchers that it was not their duty to fight and so draw attention to themselves, but to sit circumspectly and unobtrusively, gathering information. Of course, like their titular prototype, they could fight if they were stung.フェルディナンドは…戦うのではなく、木の下に座ってただ花のにおいをかいでいた。この名前は監視員たちに任務を忘れさせない意味があった。つまり任務は戦って敵の注意を惹くことではなく、用心深く目立たないようにして情報を集めることだ。もちろん名前を借りた元の牛のように、自分が刺されたら戦うことはできる。 — The Coastwatchers 1941-1945『Australia's War 1941-1945』 この例えに代表されるように、日本軍へ監視活動が暴露しないように、細心の注意が払われた。 暴露した場合の処置が問題として浮かび上がったのは1940年8月、ポートモレスビーを日本軍に占領された場合を想定した研究が実施された際のことである。当初は物理的対策として、内陸に30マイル後退して予備通信所を設置することとした。しかし間もなく根本的な問題として、同地に限らず、敵が監視拠点のある地域に進軍してきた場合、要員に報告を継続させるかが問題となった。この討議はオーストラリア海軍省が実施したが、当時の国際法上は占領地域の民間人は情報発信の権利を失うと解された。また、現地要員に何を以って占領状態と判断させるかも検討したが、現地での判断は不可能と結論した。その結果、占領された場合は「情報を送るな」という命令はせず、「報告をしてくれることを希望するが、敵地に残れという命令はしない」と命じる旨が決められた。 しかし、開戦後日本軍がラバウル・ソロモン諸島に進撃してくると、愛国心により被占領地から発信する者が相次いだ。そのため、占領地の拠点に対しては「報告の価値無し、発信により却って味方への妨害行動となる」旨を返信し、安全確保に配慮をした。また、スパイ容疑での処刑を避けるため、日本と開戦して4、5ヶ月が経過した頃、要員に軍籍を与えることとなり、制服と階級章一式が輸送機より投下された。 なお、実際の監視活動の結果から、日頃大言壮語をしたり、熱烈な愛国的言辞をする監視員は現場では役に立たない傾向があるとの所見が出されたと言う。
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