監視と重税
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/18 16:30 UTC 版)
「アラー・ウッディーン・ハルジー」の記事における「監視と重税」の解説
アラー・ウッディーンは相次ぐ反乱にあたって、抵抗する勢力の察知と反乱の防止のために国内に秘密警察をくまなく張り巡らせ、力によって反対勢力を抑えつけようとした。貴族、高官から庶民まで、行動や日常生活が彼の布いた監視網のもとに置かれたのである。 貴族間の結婚はアラー・ウッディーンの許可無くして行うことはできず、貴族の私有財産も削減された。宴会は陰謀が交わされる場だとして禁止され、宴会に欠かせない飲酒、酒類の製造と販売も禁止されたが、禁酒令は徹底できず、自分で飲むための酒を個人で製造することは認めざるを得なかった。 役人には民衆に富と時間的余裕が残らないよう厳しい徴税を行うことが命じられ、この命令には時間的余裕が無くなれば反抗や反乱を考えるほどの余裕も無くなるという意図があった。インドで最初となる事前の測量に基づいて収穫高の半分を税とする貢租徴収、兵糧の1つである牛乳を確保するための牧草地への課税、徴税の過程で国家と農民の中間に立つ世襲的な在地支配者層を排除しての直接徴税、在地支配者層の免税特権の廃止を実施した。実施の程度と施行された地域に限りはあったものの、彼の治世に確立された徴税制度は後の時代に建国されたスール朝、ムガル帝国で導入された徴税制度の基礎となった。 アラー・ウッディーン治下の北インドにおいて最も重い税が課せられたのはヒンドゥー教徒であり、彼らは重税以外に武器の所持、騎乗、奢侈にも厳しい制限が課される苛烈な処遇を受けた。ただ、ヒンドゥー教徒への課税は迫害を目的としたものではなく、税収の確立が目的であったと思われる。厳しい徴税はイスラム教徒にも課され、宗教家や功労者に与えられていた土地は接収され、年金も停止された。
※この「監視と重税」の解説は、「アラー・ウッディーン・ハルジー」の解説の一部です。
「監視と重税」を含む「アラー・ウッディーン・ハルジー」の記事については、「アラー・ウッディーン・ハルジー」の概要を参照ください。
- 監視と重税のページへのリンク