監視する軍隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/16 01:26 UTC 版)
「アートマス・ウォード」の記事における「監視する軍隊」の解説
1775年4月19日のレキシントン・コンコードの戦いに続いて、反乱軍がイギリス軍をボストンに追い詰め、ボストン包囲戦が始まった。当初、ウォードは病床から軍隊を指揮していたが、後にケンブリッジの作戦本部に移動した。まもなく、ニューハンプシャーとコネチカットの暫定政府がウォードを指揮官に指名し包囲軍に加わった。この時のウォードの任務は軍隊の組織化と軍需物資の調達に奔走することになった。 5月にイギリス軍の増援部隊が到着し、6月にはイギリス軍がバンカーヒルを攻撃する計画であることを知った。ウォードはそこを防衛することとし、1775年6月17日のバンカーヒルの戦いとなった。この戦いの指揮はイズラエル・パットナム将軍とウィリアム・プレスコット大佐に委ねた。その日のことでウォードが英雄的な立場にあると人々が認識する一方で、ウォードは防衛のための弾薬が不足していることに気を揉んでいた。
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