監督選定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 09:21 UTC 版)
監督は高岩淡が尊敬する山下耕作を推したが、笠原は「山下はリアリズムじゃないし、対象に迫っていけないから特攻隊員は描けない」、「〈任侠映画〉に固執する感覚で特攻隊の実像に迫ることは不可能」などと反対し、大島渚を推し、佐藤雅夫だけが賛成したが結局、山下になった。笠原は親友山下を公然と裏切った。笠原と山下のコンビは本作が最後となった。 山下耕作は「今戦争映画を作る意義みたいなものを漠然と今まで無かったような天皇の戦争責任みたいなものを入れないと、どうしようもないんじゃないか」と話し、このような問題意識を持った切っ掛けは、一つが小野田寛郎元少尉の敗戦後30年にわたる戦闘継続で、あの戦争に積極的に参加したにしろ、しなかったにしろ、突き付けられた絶対天皇主義の白刃であり、あの戦争の責任というものを改めて考えさせられたこと、もう一つが『週刊朝日』1974年5月31日号に掲載された永六輔のエッセイ『責任』で、ロンドンで戦前から暮らしている日本人の話だという。山下は本作のタイトルを「責任」にしてもいいと話した。山下が焦点を当てようとしたのは、戦時期と統治・統帥両面で最高の地位にあった天皇「責任」であった。山下も笠原も「天皇制批判できるのは、あの戦争を死にもの狂いで戦った連中しかいないんじゃないか」と述べている。
※この「監督選定」の解説は、「あゝ決戦航空隊」の解説の一部です。
「監督選定」を含む「あゝ決戦航空隊」の記事については、「あゝ決戦航空隊」の概要を参照ください。
- 監督選定のページへのリンク