百夜月と地名伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/30 20:39 UTC 版)
百夜月には、次のような地名の由来にまつわる伝説がある。 「 昔、紅梅寺に美しい尼僧がおり、村の若い男性の間で憧れの存在となっていた。その中の1人が夜に川を渡り尼僧に会いに行こうとするも、月が明るくて船を出せなかった。若者は毎晩出航を試みるも月は明るく照らし出し、川を渡ることはできなかった。これを99夜繰り返した末、若者は母に事情を打ち明けた。母は「あの方は仏様を守る使命を持っているので、お前が好きになってはいけない。月は村人が悪さをしないように明るく照らしているから、お前が100日待っても無駄だよ。」と息子を諭した。この一件以来、村人はこの地を百夜月と呼ぶようになった。 」 この伝説には、更に次のような地名由来伝説が続く。 「 紅梅寺の尼僧は仏法を広めるべく、周囲の村に寺宝を配り、祀ってもらうことにした。紅梅寺対岸の村には九重の重箱を、下流の村には花瓶を、上流の村には竹の筒を配った。このため、重箱を贈られた村は九重(後の和歌山県新宮市熊野川町九重)、花瓶を贈られた村は花井(後の三重県熊野市紀和町花井)、筒を贈られた村は竹筒(後の奈良県吉野郡十津川村竹筒)という地名になった。 」 この伝説に登場する尼僧はその後、都から戦を避けて逃れてきた人や素性を明かさずに宿を求めた高僧を受け入れるなどし、次第に年を重ねて静かに息を引き取ったという。 2015年(平成27年)6月3日にはこの伝説を題材として、シンガーソングライターの小田純平の歌唱による楽曲「百夜月」(作詞:伊藤美和、作曲:小田純平)が発売された。 百夜月の地名の由来には上記の伝説のほか、南北朝時代にこの地に住んだ武将・百井安友の名が変化したという異説もある。また、花井についても、華森神社(稲荷社)で気比(けひ)神を祀っていたことに由来するという別の説がある。
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