療養生活と更なる不幸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 00:31 UTC 版)
「ルドルフ・カラツィオラ」の記事における「療養生活と更なる不幸」の解説
松葉杖で歩くこととなったカラツィオラは妻シャルリーの献身的な助けに支えられ、スイスのルガーノ、次いでアローザに別荘を借りて療養生活を送った。同じ頃、ダイムラー・ベンツは翌年からのレース復帰を目指して準備を進めており、ノイバウアーは見舞いの名目でドライバー候補のカラツィオラの別荘を訪ねた。ノイバウアーはカラツィオラの様子を観察してみて、レースにはとても耐えられそうにないと考えたが、カラツィオラは自身を売り込み契約を求めた。そうして、ノイバウアーの温情により、「テスト走行の結果次第」という条件付きながら、ダイムラー・ベンツはカラツィオラを1934年のドライバーとして起用する契約を結んだ。 事故の翌年1月にダイムラー・ベンツと契約を交わし、復帰への道筋がついたのも束の間、その翌月、カラツィオラは更なる悲劇に見舞われる。シャルリーがスキー好きであることを知っていたカラツィオラは、事故以来ずっと彼に付きっきりで世話をしていた妻に息抜きに新鮮な空気を吸いに行くことを勧めた。それに従った彼女は友人と日帰りでスキーに出かけたが、そこで雪崩にあうという不幸に見舞われ、死去してしまう。立て続けの不幸に打ちのめされたカラツィオラは、アローザの別荘に閉じこもった。シロンはカラツィオラを立ち直らせるために尽力し、カラツィオラはシロンに押し切られる形で1934年4月のモナコグランプリ(英語版)にゲストとして招かれた。前年事故を起こしたコースでデモ走行を行い、そこで自分でも意外に思うほどレーシングドライバーとしての自覚が沸き上がり、再びレースに戻ることを決意する。 他人より2~3秒速く走るためには生命を賭ける男のことを考えて、微笑み肩をすくめる連中もいよう。私にとって唯一の幸福とは、車の中に座りウインドシールドの陰に身をかがめ、スターターが旗を振り下ろすのを待って、他の連中より何分の1秒か速く走り出すことなのだ。それから路上を走る何時間かだ。風はうなって吹き、エンジンは吠え、自分の内にうなりを生ずるのだ。もはや脚の悪い沈んだ男ではなく、300あるいは400馬力以上を意のままに支配する男だからだ。鋼鉄の生き物をコントロールする意思なのだ。 —ルドルフ・カラツィオラ(1934年モナコグランプリ)
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