療養生活と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/13 09:39 UTC 版)
「ブラウニー・メアリー」の記事における「療養生活と死」の解説
ラスバンは慢性閉塞性肺疾患と変形性関節症を患っていた。大腸がんでもあり、足は人工膝関節であった。ラスバンは自己治療を行うことがよくあり、朝に大麻入りブラウニーを半分食べ、午後にもう半分を食べては、変形関節症で生じる膝の痛みを和らげていた。大麻入りのブラウニーがあるからこそ歩くことができ、痛風の辛さも緩和されるというのが彼女の主張であった。1996年の春ごろには、痛みがあまりにも強くなり、もはやブラウニーを焼くことすらできなくなった。体重は落ちはじめ、ペロンにはミシガン州に行ってジャック・ケヴォーキアンの幇助で自殺したいと語るようになった。1998年8月には倒れてしまい、首と脊椎の手術のためマウントザイオン病院へ入院した。デービス・メディカルセンターでも手術を行ったが、回復しても見舞客はほとんど受け入れなかった。その後に貧困層のための養護施設であるラグナホンダ病院にはいり、寝たきり状態となった。1999年4月10日、ラスバンは77歳のときに心臓発作で亡くなった。4月17日は地方検事のテレンス・ハリナンなど友人たち300人がカストロ通りに集り、彼女を偲んでキャンドルライト・ビジル〔祈りの徹夜集会〕を行った。ハリナンは追悼のため集まった人々にこう語りかけた。彼女はヒーローであり「いつの日か医療マリファナ・ムーヴメントにおけるナイチンゲールとして思い起こされる日が来る」だろうと。
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